文学テクストの作中人物は〈穴〉を潜ってあちら側に赴き、そうすることによって主人公となる。また同時にこのとき、三人称で語られていた物語言説は、おのずから一人称的──自由間接話法的な文体への変成を遂げる。どうしてこんなことが起こるのだろうか。本稿は、『浮雲』『蒲団』『羅生門』『屋根裏の散歩者』『雪国』などにあらわれた〈穴〉と、それに伴って現象した「話法の転換」とに着目しながら、日本近代文学における自由間接話法的な文体生成の歴史的意義もしくはその蓋然性について考察するものである。この試論を通じて、「作家」や「聖典」に拠らない文学史、すなわち間テクスト的な表現史・文体史記述の可能性についても問題提起をおこなってみたい。