『夫婦善哉』は、織田作之助の大阪の作家としてのイメージを今日まで強固に支えている。一方で昭和文学史においては、一九四〇年前後に多く書かれた「系譜小説」の一つとして言及され、「藝術的抵抗」の一環として評価されることもあった。しかし本論ではこれらの文脈からいったん距離を置いて、『夫婦善哉』が「系譜小説」として認知されていった当時の動向を再検討する。そのうえで、一篇の特徴が「系譜小説」に特有の素早く流れる時間を表現する「形式」にあることを、具体的な本文の分析に基づいて明らかにする。このような考察は、大阪という紋切り型で評価されがちな『夫婦善哉』と織田の創作活動を歴史的に捉え直す契機となるはずである。