日本近代文学
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《小特集 劇的なるもの》
谷崎潤一郎「肉塊」と映画の存在論
――水族館-人魚幻想、〈見交わし〉の惑溺――
佐藤 未央子
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2016 年 94 巻 p. 136-151

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抄録

映画監督の小野田吉之助が作中で撮る映画「人魚」の機能と、吉之助また女優グランドレンの動向の相関性に焦点を当てた。観客を没入させる一方で見る主体と対象との間に隔たりがある装置として水族館と映画館は類似する。「人魚」のプリンスと人魚がその隔絶を越えて結ばれたように、吉之助もグランドレンとの交情に惑溺、映画と現実を混同したうえブルー・フィルムを製作する。映像の視覚美に加え、フィルムへの触覚的な接し方も人魚の比喩を用いて表された。映画的な視覚性を持ちつつ肉体を持つ人魚が泳ぐ水族館は物語の象徴として機能した。「人魚」は本作のプロットを方向づけており、吉之助において映画と人魚への欲望は一体となっていた。本作は「見る」ことの誘惑から、触覚、嗅覚を刺激する〈肉塊〉の歓楽に達する動態を映画の存在論に沿って描いた作品であると論じた。

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