2017 年 97 巻 p. 49-64
ジュディス・バトラーによれば、主体ならびに身体・性とは権力が産出する構築物であるという。それ自体は確かに正しいが、そこで看過されているのは、妊娠・出産する女性の物質的な身体――〈妊む身体〉である。そこで本稿は倉橋由美子の『暗い旅』と初期短編における〈妊む身体〉の不随意性に着目し、それを見失うことなく権力に抵抗するあり方を提示した。まず初期短編を通して〈妊む身体〉をめぐって構築される男/女=主体/客体という権力構造を分析している。その上で『暗い旅』の考察に入り、匿名の語り手から呼びかけられることで主人公の「あなた」が女という性を否応なく引き受けさせられるも、〈妊む身体〉の不随意性を足がかりに、女の性を演ずる行為に転換する過程を論じた。更に、こうした「あなた」の演技性が主体を撹乱すると同時に、主体を根拠としない権力への抵抗にもなり得ることを明らかにした。