日本考古学
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古墳時代の須恵器製作者集団
福岡県宗像市須恵須賀浦遺跡の研究
岡田 裕之原 俊一
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2004 年 11 巻 17 号 p. 25-42

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抄録

本稿の目的は,古墳時代の須恵器生産がどのような組織形態でおこなわれたのか,製作者集団の実態をもとに明らかにしようとするものである。従来,須恵器生産組織については,とくに文献史学の立場からは,『日本書紀』に記載のある「陶部」とのかかわりが論じられる一方で,それに対する批判もあった。
このことは,須恵器製作者集団がどのような構成員からなり,須恵器生産がどの程度専業化されたものであったのかという問題とも関係するものである。具体的には,須恵器製作者集団が,群集墳や横穴墓の被葬者集団,つまりは集落における経営単位となる家族集団とどのような関係をもつのか明らかにすることによって,この議論の一端に貢献できるものと考えている。
本稿では,以上の問題を検討するにあたって,宗像市須恵須賀浦遺跡を事例として用いている。当遺跡は須恵器窯跡の操業停止後,横穴墓が窯跡に占地上の制約を受けながら築かれており,窯跡と横穴墓の単位が整合性をもつということが指摘されてきた。そこで,実際に遺構の変遷および各時期の分布状況をもとに,その形成過程について明らかにし,グルーピングをおこない集団単位を把握することによって検討を試みたのである。
結果として,たしかに窯と横穴墓は整合性をもち,それらの集団単位が一致するということが明らかになった。すなわち,1基を操業するに当たり2,3程度の家族が携わっており,それら複数家族をもって窯の操業単位を構成すると考えられた。また,窯の操業単位の増加および墓域の拡大は傍系親族の分節運動に対応すると考えられた。
そして,律令期の戸籍と比較すると,窯の操業単位は郷戸規模であり,横穴墓の小群は房戸規模の単位であると考えられた。以上をもとにして,須恵器製作者集団の実態は,複数の世帯から構成された律令期の郷戸に相当する規模の家族集団,つまり従来いわれてきた世帯共同体を操業単位として経営をおこない,その単位は世代を経て増加するとともに,世襲的に技術の伝達がおこなわれ,半農半工ではあるが専門的に須恵器生産をおこなう集団であったといえる。

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