抄録
東海系曲柄鍬は,弥生V期後半~廻間I式期に伊勢湾地方に出現した伊勢湾型曲柄鍬を祖形として,廻間II式期以降,近畿地方から東北中部にかけての広範な地域に伝播していく。小論では各地で出土する東海系曲柄鍬の広域編年作業と,平面形態・製作技法の検討をおこない,いくつかの地域差をあきらかにした。まず,伊勢湾地方と静岡県中・東部では刃部整形技法が異なり,南関東・東北中部は静岡県,長野県北部・北関東・近畿地方は伊勢湾地方の影響を強く受けていることがわかった。刃部の平面形態や軸部の形態を比較すると,伊勢湾地方と北関東・近畿地方,南関東と東北中部がそれぞれ酷似している。また,長野県北部は東海系曲柄鍬からナスビ形曲柄鍬への変化が他地域よりも早い。これらさまざまな要因を重ね合わせると,東海系曲柄鍬の伝播は一様ではなく,S字状口縁台付甕などの伝播で説明されるような,人的移動だけでは必ずしも解釈できないことが判明した。すなわち,伊勢湾地方からのまとまった人の移動にともなう伝播類型とともに,直接的な人的移動によらず,東海系曲柄鍬の形態といった情報のみが伝播した類型の存在が判明した。
伊勢湾型曲柄鍬が出現した弥生V期後半~廻間I式期,伊勢湾地方では沖積低地において,大溝の掘削・河川の改修・大規模な水田の造成がさかんにおこなわれたことが近年あきらかとなってきた。伊勢湾型曲柄鍬はこういった大規模な開発行為のために,この地方の首長層によって生み出され,大量に製作・使用された土木具であった。その系譜を引く東海系曲柄鍬の伝播には上記の開発技術がともなっており,むしろそのような技術こそが各地で沖積低地の再開発をおこなう在地首長層に必要とされたために,伊勢湾地方から直接的あるいは二次的・三次的に伝播していった可能性が高い。その意味で東海系曲柄鍬には,水田耕作を主たる機能とする直柄鍬とは異なる,高度な政治性が付与されていた。それは,伊勢湾型曲柄鍬の出現とほぼ同時期に近畿地方・北陸地方に伝播して,それぞれに定型化したナスビ形曲柄鍬も同様であり,これら曲柄鍬はおのおのの勢力範囲を争うかのように広範囲に伝播し,各地に定着していったのである。