日本考古学
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同笵・同形式軒瓦からみた尼寺廃寺の性格と造営氏族
紀氏の造営寺院
小笠原 好彦
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2000 年 7 巻 10 号 p. 71-85

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抄録

尼寺廃寺は大和の北西部に所在する古代寺院である。この廃寺は片岡尼寺とも呼ばれ,早くから現在の般若院付近とその北の白山姫神社の東方にある塔基壇付近とが対象にされ,いずれも同一の軒瓦が採集される寺院として知られている。これまで尼寺廃寺は般若寺に想定する考えがだされてきたが,近年は2つの地区の調査が行われ,北地区で塔跡が発掘され,ここから心柱と添柱の柱座を穿った巨大な心礎と舎利荘厳具が出土した。そこで,あらためてこの寺院の存在が注目されるところとなり,新たに葛城尼寺を想定する考えや調査関係者によって,飛鳥の坂田寺に葺かれた坂田寺式軒丸瓦と同笵の軒瓦が葺かれたことを重視し,敏達天皇の後裔王族によって建立されたとする考えがだされている。
しかし,この廃寺が敏達天皇の後裔王族によって造営されたとすると,その後,この寺院に川原寺式軒瓦が葺かれてほぼ完成をみることになった造営経過との関連がほとんど知りえないことになる。また,造営者の具体的な活動もよく知りえないなどの難点が残ることになる。
尼寺廃寺の造営氏族を検討するには,北地区と南地区との関連が十分に明らかでないという制約があるが,創建時に葺かれた坂田寺式軒丸瓦の同笵瓦に加えて同形式軒丸瓦の分布も踏まえて検討すると,この同形式軒瓦が紀ノ川流域で造営された西国分廃寺,最上廃寺,北山廃寺など初期寺院に集中して葺かれていることが注目される。そして,これらの紀ノ川流域の3寺院の造営氏族と尼寺廃寺の造営氏族との間に同族関係があった可能性がきわめて高い。そこで,そのような関連を認めうるとすると,尼寺廃寺は紀ノ川流域に氏寺を建立した氏族との関係からみて,大和に本拠地をもっ紀氏を想定しうる可能性が高い。尼寺廃寺の周辺には三里古墳のように,紀ノ川流域の横穴式石室に顕著にみる石棚をもつ後期古墳が知られ,式内社の平群坐紀氏神社が鎮座する。さらに紀氏系図に記された平群氏と紀氏との関係などからみると,ここに6世紀以降に紀氏一族が本拠地として居住していたことと深く関連する氏寺であったと推測される。また,この廃寺を紀氏の氏寺に想定すると,飛鳥に所在する紀寺を新たに検討すべき課題が生まれることになるのである。

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