2024 年 41 巻 2 号 p. 105-107
「甲状腺腫瘍診療ガイドライン2024」では,新たな試みとして「甲状腺手術にともなう合併症,安全管理」の項目を設けた。疾患そのものや治療後の予後に関するエビデンスではなく,治療結果としての患者に及ぼされる害に焦点を当て,その頻度や対処法,予防法について解説した。甲状腺腫瘍診療ガイドラインの目的である,「甲状腺腫瘍に悩む患者の健康アウトカムを高めること」を目指す中において,「エビデンスに基づく意思決定を可能にすること,甲状腺診療を標準化すること」には,「甲状腺手術にともなう合併症と安全管理」についての記載が必要であると考えた。予想された通りエビデンスの少ない分野であったが,患者と医療者の双方を守るためには重要な解説であろうと思われる。今後の臨床的検討や議論に基づいて更新されていくことを期待している。
「甲状腺腫瘍診療ガイドライン2024」では,「甲状腺手術にともなう合併症,安全管理」の項目を設けた。疾患そのものや治療後の予後に関するエビデンスではなく,治療結果としての患者に及ぼされる害に焦点を当て,その頻度や対処法,予防法について解説した。決して十分な内容とはいえないが,臨床的に重要と考えられる表1の様な項目を解説している。今後の臨床的検討や議論に基づいて,継続的に更新されていくことを期待している。

甲状腺手術にともなう合併症,安全管理の内容
甲状腺手術の合併症には嗄声,嚥下障害,頸部の運動制限,テタニー,窒息などの患者の社会生活や生命におおきな影響を及ぼす事象が含まれる。専門書を見ても合併症の列記はあるが,詳細な記述は少ない。外科系医師同士であっても術後の有害事象の頻度や程度,標準的な対応を真正面から真摯に話し合う機会は少ない。経験豊富な専門医の多くでも,合併症発生率の数字を挙げて術前説明することは少ないだろう。「稀」とか「可能性」という表現は,医療者と患者で受け取り方が大きく異なるとされ,代表的な合併症については,頻度を数字で示すことも必要と考えられる。「大丈夫だから,任せておきなさい。」という執刀医の言葉を待っているような患者も居るが,実際にそのような説明を行う医師は現在では居ないだろう。しかし,経験の浅い医師は先輩から教えてもらった通りを,「あの先生に任せておけば大丈夫」という気持ちで,なんとなく患者に伝えているのではないか?自身も説明内容を口述して指導してきたが,思い返してみると内容が適切であったとはいい難い。実際に患者に嗄声がどれくらいで治るかと聞かれたとき,テタニー症状に患者が動転しているとき,術後出血で突然頸部が腫れあがってきたとき,どう説明してどう対処するのが良いか,標準的な解説があれば医療者と患者の双方にとって有用と考え,この章を設けることを想起した。施設毎の考え方や対処の違いが存在することを踏まえたので,具体的な記述が不十分であることは否めない。今後の改訂を期待したい。
術後出血により不幸な転帰を取った事例について相談を受ける機会があり,治療経緯を詳細に検討した。振り返ってみると誰しもが陥る可能性があるいくつかの些細な伏線が重なっていることが明らかになった。危険が回避できなかった理由には,地域特有の医療環境や施設内での安全管理体制,人間関係にも原因の一端があると考えられた。さらに意外であったのは,専門医同士,他の分野の専門医,専門家とのディスカッションの中で個々の認識が必ずしも一致しないことであった。われわれ外科系医師の常識は,必ずしも他科の医師の常識ではなく,ましてや病院のスタッフや患者や家族の常識とはほど遠い。一般に甲状腺手術は,「軽い手術」と見なされがちであるが,実際には死亡例が報告され,医療安全の啓発が強く期待されている[1]。是非,この提言[1]やコラム11-1「術後出血の発見法と対処法」をスタッフと一緒に読んで欲しい。現在の日本では交通手段が発達しており,多くの地域では比較的短時間の移動で容易に高度な医療を受けることができるという強みがある。もはや専門医以外が,設備の整っていない施設で,スタッフの教育もないままに無理をして甲状腺手術をする必要はないだけでなく,時として危険な医療行為になり得ると認識すべきなのかもしれない。甲状腺手術の持つ潜在的な危険性については,担当部署だけでなく施設全体,ひいては医療界全体で共有すべきと考え,「解説11-2 甲状腺手術に際して必要な安全管理体制と非常時の対処」を作成した。
術中神経モニタリングや術前後の喉頭ファイバー,副甲状腺の自家移植などは,施設のマネジメントや手術を行う医師とスタッフのちょっとした努力で可能なことなので,是非に標準的な対処としていただきたい。術中神経刺激装置の使用や術前後の声帯の観察により,手術がより安全になることは誰でも想像がつくが,実臨床では案外行われていないことが少なくない[2]。海外では術中神経モニタリングのガイドラインも整備されており[3,4],日本でも現在作成中である。また,術前後の喉頭ファイバー検査が保険医療で過剰診療と査定される場合がある。本ガイドラインに標準的対処であることを明記することで患者の安全を守ることを支援したい。副甲状腺機能の温存についても多くの文献が見られたが,機能低下の判定法の違いから一致した数値を見出すことが困難であった。是非,自施設での(あるいは術者個人での)成功率を確認していただきたい。
これまで初版,第2版のガイドライン作成に携わってきた。甲状腺腫瘍診療ガイドラインの目的である,「甲状腺腫瘍に悩む患者の健康アウトカムを高めること」を目指す中において,患者に対する「害」を与える程度や頻度に対する考察が欠落しているのではないかと反省していた。「エビデンスに基づく意思決定を可能にすること,甲状腺診療を標準化すること」には,「甲状腺手術にともなう合併症と安全管理」についての記載が必要と考え,甲状腺腫瘍診療ガイドラインに新たな章として加えた。思った通りエビデンスの少ない分野であったが,患者と医療者の双方を守るために最も重要な解説であろう。次回の改訂に向けて,さらに臨床的なエビデンスを加え,新たな技術を大いに利用した結果を示して,洗練された文章に書き直してほしい。
本章のシステマティックレビューを精力的に担当していただいた友田智哲,野田諭,福島光浩,舛岡裕雄,森祐輔,和田哲郎先生(五十音順)に心より感謝いたします。