甲状腺腫瘍の組織型や悪性度に関連した遺伝子異常の解明により,甲状腺細胞診検体を用いた遺伝学的検査が欧米を中心に広まりつつある。目的は主に細胞診で良悪性を断定できない結節のリスク分類だが,分子標的薬の検索を目的とした利用も期待されている。遺伝学的検査に用いる細胞診検体には,塗抹標本からの剝離検体,liquid-based cytology(LBC)検体,セルブロック検体の3種類がある。なかでもLBC検体は,作製が容易で核酸保存性も良好であるため,最も扱いやすいと思われる。しかし,腫瘍細胞含有割合を評価できないので,検体の一部から鏡検用のLBC標本を作製することが望ましい。本邦では,甲状腺細胞診検体を用いた遺伝学的検査は現時点で保険収載されておらず,行われていない。日本甲状腺学会は「甲状腺腫瘍に特化した国産NGSパネル検査の開発」を臨床重要課題に掲げている。これが成功し保険収載されれば,日常診療に用いられる日もそう遠くないと思われる。
甲状腺腫瘍の組織型や悪性度に関連した遺伝子異常が徐々に明らかになってきたことにより[1],甲状腺細胞診検体を用いた遺伝学的検査が欧米を中心に広まりつつある[2]。甲状腺細胞診報告様式の世界標準であるベセスダシステムでは,良悪性を断定できない「意義不明な異型」,「濾胞性腫瘍」,「悪性の疑い」のカテゴリーに区分される結節に対する遺伝学的検査を推奨している(表1)[3]。また,分子標的薬の検索を目的とした遺伝学的検査への細胞診検体の利用も期待されている[4]。本稿では甲状腺細胞診検体を用いた遺伝学的検査を,本邦での実状を交えながら解説する。

甲状腺ベセスダシステムの診断カテゴリーと推奨される臨床的対応[3]
甲状腺腫瘍に関連する遺伝子異常を表2に示す。濾胞細胞由来の腫瘍に関連するドライバー変異は,BRAF,RAS,RETといったmitogen-activated protein kinase(MAPK)シグナル伝達経路にあるタンパクをコードする遺伝子に集中している[5]。通常型乳頭癌にはBRAF V600E変異,BRAF様変異,RET再構成が,濾胞状増殖を示す腫瘍にはRAS変異が主に関与している。高異型度分化癌・低分化癌・未分化癌などの予後不良な甲状腺癌では上記ドライバー変異に加えて,複数の変異(TP53変異やTERTプロモーター変異など)がしばしば検出される。そのほか,膨大細胞腫瘍にはミトコンドリアDNA変異が,硝子化索状腫瘍にはPAX8::GLIS再構成が,髄様癌にはRET変異が関与している。遺伝性の髄様癌と篩状モルラ癌ではそれぞれ,RET遺伝子とAPC遺伝子の病的バリアントが認められる。

甲状腺腫瘍に関連する遺伝子異常
遺伝学的検査に用いる甲状腺細胞診検体には,1)塗抹標本からの剝離検体,2)穿刺物をliquid-based cytology(LBC)用固定液に入れたLBC検体,3)穿刺物を10%中性緩衝ホルマリンに入れて作製したセルブロック検体,の3つがある。表3にそれぞれの特徴を示す。

遺伝学的検査に用いる甲状腺細胞診検体
剝離検体は,カバーガラスを剥がした後の塗抹標本に非水溶性封入剤を塗布・硬化し,細胞ごと剝離して作製する。穿刺時に作製するLBC検体やセルブロック検体とは異なり,鏡検後に作製でき,検体採取のために再穿刺する必要がないのが利点である。固定液にホルマリンが含まれていないのでDNAの保存性は良いが,RNAの保存性は悪い[6]。LBC検体は作製が容易で,作製過程における細胞のロスが少ない。反対に,セルブロック検体は作製工程が煩雑で,細胞のロスが多い。10%中性緩衝ホルマリンで固定されているので,DNAの保存性は悪いが,RNAの保存性は良い[7]。
以上の点から,LBC検体が最も扱いやすいと思われる。しかし,LBC検体だけでは腫瘍細胞含有割合を評価できないので,検体の一部から鏡検用のLBC標本を作製することが望ましい。腫瘍細胞含有割合は遺伝学的検査の結果に大きな影響を与える因子であり,通常20%以上必要とされている[7]。
ベセスダシステムで良悪性の鑑別が困難な結節に対する遺伝学的検査は,より詳細な悪性リスクの評価と治療方針の決定(経過観察か切除か)に役立つ。遺伝学的検査パネルにはいくつかの種類があり,それによってリスク分類の方法は異なるが,概括していえば,悪性リスクを低・中・高の3段階に分類している(表4)。ただし,この“悪性リスク”とはnoninvasive follicular thyroid neoplasm with papillary-like nuclear features(NIFTP)から高悪性度癌までを含む腫瘍である確率を指しており,高リスクに分類された腫瘍がすべて組織学的に悪性腫瘍であるというわけではない点に留意すべきである。

遺伝学的検査パネルによるリスク分類
米国のリファレンスラボが提供する遺伝学的検査パネルの代表的なものに,ThyroSeq® Genomic Classifier(University of Pittsburgh Medical Center & Sonic Healthcare USA),Afirma® Genomic Sequencing Classifier & Xpression Atlas (Veracyte),ThyGeNEXT® & ThyraMIR®(Interpace Diagnostics)がある[8~12]。対象となる検体は,穿刺物を核酸保存液に入れたもの,塗抹標本,セルブロックである。いずれの検査パネルもNext generation sequencing(NGS)ベースの腫瘍ジェノタイピングパネルとmRNAやマイクロRNAの発現プロファイリングを組み合わせてリスク分類を行うが,検出や分類の手法は異なる(図1)。これらの検査費用は非常に高額であるため,本邦のようにその検査項目が保険収載されていない国で日常診療に用いることは難しい。また,細胞診で「意義不明」,「濾胞性腫瘍」とされた結節における診断精度は,感度91~94%,特異度62~82%,陰性的中率95~97%,陽性的中率47~66%とされているが(表5)[13],ほとんどのデータは北米の成人患者集団を対象としており,「意義不明な異型」の悪性リスクが欧米よりも高い[14]と報告されているアジアの患者集団においても同程度の診断精度が期待できるとは限らない。

ThyroSeq,Afirma,ThyGeNEXT/ThyraMIRのリスク分類
seq, sequence; GSC, genomic sequencing classifier

「意義不明な異型」「濾胞性腫瘍」結節における遺伝学的検査パネルの精度[3]
甲状腺癌は分子標的薬のターゲットとなるアクショナブルな遺伝子異常の頻度が他の癌腫より高く[15],腫瘍の分子プロファイルに応じた個別化医療への期待が高い。甲状腺癌に関連する遺伝子異常を標的とした薬剤を表6に示す。標準的な外科治療や放射性ヨウ素治療の適応外である根治切除不能な甲状腺癌患者では,アクショナブル遺伝子異常の検索が分子標的治療や臨床試験の実施に必須である。ほとんどの場合はアーカイブ検体,ときに新たに採取した生検検体を使った検索が行われており,細胞診検体を利用した報告は欧米においてもほとんどない[4]。しかし,生検よりも細胞診のほうが侵襲性や合併症のリスクが低いことから,今後の普及が期待される。

甲状腺癌に関連する遺伝子異常をターゲットとした分子標的薬
本邦では,2019年6月に標準治療終了(見込み)の固形癌患者を対象とした包括的がんゲノムプロファイリング検査が,2022年2月に甲状腺癌を対象としたコンパニオン診断が保険収載され,甲状腺癌に対する遺伝学的検査が急速に広まっている。一方で,術前のリスク分類を目的とした遺伝学的検査は未だ保険収載されておらず,コスト面の問題からほとんど行われていないのが現状である。日本甲状腺学会は「甲状腺腫瘍に特化した国産NGSパネル検査の開発」を臨床重要課題に掲げており[16],約20種類の甲状腺腫瘍に関連する遺伝子異常を一括で検索できるThyroGene v2の開発が臨床試験の段階まで到達している。ThyroGene v2は組織標本とLBC標本のどちらでも検査可能で,検体提出から2日以内に結果が得られ,海外製のNGSパネルよりも安価とされている。この開発が成功し保険収載されれば,本邦においても細胞診断困難例に対して遺伝学的検査が実施されるようになるだろう。
甲状腺細胞診検体の遺伝学的検査は,欧米では細胞診で良悪性を断定できない結節のリスク分類を目的として普及しており,分子標的薬の同定を目的とした利用も今後期待される。本邦ではコスト面の問題からほとんど行われていないのが現状だが,甲状腺腫瘍に特化した国産NGSパネル検査が実用化されれば[16],細胞診断困難例に対する遺伝学的検査が日常診療に導入される日もそう遠くないと思われる。