抄録
「権力」という概念は、いかにも厄介である。なぜ厄介かといえば、便利すぎるからだ。あの人はなぜそんなふうにふるまったのか──それはそういうふうに権力が働いたから、という具合に、それは何でも説明してしまう。これは結局、「権力」ということで何かを説明しても、実際には何も説明したことにならない、ということにほかならない。それにもかかわらず、「権力」は日常において「説得力ある」説明に用いられる。本稿では、この不思議な事態を、独自の現象として取り扱っていくことがこころみられる。まず権力の意味論的分析により、次のことが示される。つまり、権力関係があるということは、当事者間に権力源についての相互的知識があるということと同値なのである。この相互的知識を当事者たちがもっていること、このことが第三者に見て取れるとき、権力について第三者による報告が可能になるわけだ。ところでじつは、権力のリアリティはまさしくこの「第三者による」報告に内属的なものにほかならない。そうであるならば、権力がリアリティをもつのは、第三者による報告が可能であるときということになる。そこで、次に問うべきことはこうである:当事者たちの、権力源に関する相互的知識は、どういうときに第三者にたいして示されるのか。これについて、逐次「成員カデゴリー」と「会話の順番取得システム」にもとづき検討が加えられる。