抄録
本稿の目的は、エスニシティ現象をめぐって、いくらかの一般化された理論の可能性をさぐることである。まずエスニシティの概念について整理し、それを文化と人権と出自の客観的属性の共有あるいはそのような属性の主権的な共有の信念であるとする。ついでこのエスニシティの活性化の原因とエスニック集団の主体形成を、文化の利害と経済・社会の利害の剥奪とその克服の過程に求める。ついで、このエスニシティ現象の意義を国民国家のあり方の変化の観点から論じる。まず、国民国家の概要を吟味し、ついでエスニシティの効果を見る。多文化主義や地域主義に、また近代の価値たとえば個人主義や業績主義を制約するかのような政策に、近代社会あるいは国民国家に対する修正を見いだす。しかし、他方でエスニック運動そのものが、近代の自由や平等を主張するリベラリズムの価値の履行という側面をもつこと、また自立する地域の連邦主義的な統合や民族の再統合を目の当たりにすること、これから現代の少なくない数の社会は国民国家のエトスを強め、国民国家の実現を目指していることを明らかにする。