抄録
近年の合理的選択理論の隆盛は、それらが制度や秩序を説明しうる可能性に動機づけられている。合理的選択理論に対しては従来から種々の本質的ではない批判が加えられているが、制度や秩序の説明に関してはそれらとは異なる観点から合理的選択理論の意義と限界が画定されなければならない。
合理性の概念には、選好の合理性、強い合理性、弱い合理性、および創造的合理性という4種類のものがあるが、合理的選択理論において意味を有するのは弱い合理性だけである。合理的選択理論は、行為者の抱く主観的選好と主観的知識とから彼の行為を理論的に導出することによってそれを説明するが、これらの主観的なものは理論家によって推測的に仮定されるのである。行為者の主観的知識はそれを対象として位置づける理論家の理論と区別して「一次理論」と呼ばれる。
一方、制度と秩序は、単なる行為の集積ではなく、人々の主観的知識=一次理論に基礎をおいている。ところが、行為とちがって知識は合理的に選択されるものではない。したがって、制度と秩序は、究極的なところでは、合理的選択理論によっては説明されざるものとして残らざるをえないのである。