抄録
近代の日本における中央集権化の潮流は工芸にも通じるものであった。幕藩体制によって培われた地方性豊かな作風を持つ金工家たちも、明治維新後には、地方を離れ中央へ出なければ成功を納めることが出来ない環境に追い込まれていく。近年、中央の動向を中心に研究の進展著しい近代工芸研究であるが、本稿では、上述のような問題意識に根ざし、明治維新後の大阪の金工家たちの動向のケーススタディを行うことで、当時の工芸家にとって「中央」と「地方」がどのようなありようであったのか、またその社会構造の変化がいつごろ顕在化したのか、また、その変化を個々の工芸家たちがどのように受け止めていたのかなどを明らかにする。なお本稿中、大阪の彫金工房であった「丹金」関係資料の紹介を併せて行い、その実態解明の一助とする。