音楽学
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1930 年代前半の東京音楽学校における作曲教育――学校資料と初期卒業生の資料にみる本科作曲部の様相――
仲辻 真帆
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2019 年 65 巻 1 号 p. 32-49

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抄録

  東京音楽学校本科(現在の東京藝術大学音楽学部)において体系的な作曲教育が開始されたのは、1931(昭和6)年のことである。時勢に鑑みて、文部省令により「作曲部」が設置された。東京音楽学校の作曲教育は、日本における創作領域の人材育成に大きく寄与してきたにもかかわらず、これまで本格的な研究がなされてこなかった。本論文は、この本科作曲部の最初期の様相解明を目的としている。
  1932年より本科作曲部の入学者が募集され、設置当初は毎年2~3人の作曲専攻の学生が入学した。信時潔、片山頴太郎、下總皖一、呉泰次郎の他、外国での研鑽を終えたばかりの細川碧や橋本國彦、ドイツ音楽を体得していたK. プリングスハイムも指導にあたった。ドイツやウィーンの音楽理論の教授が根幹にあったが、和歌への作曲や律旋法・陽旋法など日本の伝統的音階に基づく作曲も実施されていた。教員たちが自ら翻訳したテクストを用いるなど独自の音楽理論を展開していたことも明らかとなった。
  本研究では、学校資料に基づいてカリキュラムや試験問題を提示するとともに、1930年代に在学していた学生たちの手稿資料を活用して授業内容を検証した。とりわけ自筆譜、日記、書簡からは、ソナタの作曲に苦悶しながら、朝夕問わず日々習作を書いて作曲修得に励んでいた学生たちの様子が浮き彫りとなった。S. ヤーダスゾーンの『和声学教科書』が受験勉強に用いられていたこと、作曲部の授業でS. クレールやH. リーマンの和声論が教授されていたことも判明し、そこから昭和初期の和声教育の一端が見出された。
  研究対象とした1930年代は、社会状況が激しく変化した時期である。作曲部の学生たちも軍事訓練への参加や戒厳令下での合唱練習を経験していた。ただし戦争の影響はまだ大きくなく、設置当初の作曲部では充実した授業が実施されていた。初期卒業生の記述からは、新体制の中で豊かな作曲教育を享受していたことがわかる。

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2019 日本音楽学会
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