日本歯周病学会会誌
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トピック紹介
医学・歯学分野におけるデータサイエンス教育と臨床データベースの構築
木下 淳博
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2021 年 63 巻 2 号 p. 61-65

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はじめに

ビッグデータに対応できるデータサイエンティスト育成の必要性については,文部科学省,日本学術会議,情報・システム研究機構からの報告書などにおいて強く訴えられてきた。その後,AI戦略2019の一環として,歯学部歯学科・口腔保健学科・歯科衛生学科等においても,2025年度までにすべての卒業生が数理・データサイエンス・AIを理解し,具体的なデータに対して利活用できる能力を持つことを目標として,取り組みが推進されている。

日本では巨大な医療ビッグデータであるレセプト情報が利活用されているが,貴重なデータを社会還元する取組として,さらなる利活用と発展に大いに期待したい。また,歯周治療目的で記録される診療データを二次利用して行う後ろ向き研究も行われているが,各研究者,各機関の努力のみに頼ることには限界がある。今後は,日本歯周病学会として臨床データベースを構築し,適切なルールの下で利活用できる体制が求められている。

本稿では,AI戦略2019における歯学教育でのデータサイエンス教育の取り組みと共に,日本歯周病学会における臨床データベース委員会の非常にタイムリーな発足を紹介する。

AI戦略2019

日本学術会議からの提言「ビッグデータ時代に対応する人材の育成」1)では,その冒頭で「情報通信技術の飛躍的進歩によって,多くの学術研究分野や社会において時々刻々ビッグデータが蓄積しつつある。ビッグデータには膨大な知識や潜在的価値が埋蔵されているため,その有効活用が今後の学術や産業発展の鍵となっており,激しい国際競争が始まっている」とある。7年前の2014年の提言である。提言では,欧米やアジア諸国でビッグデータに関連する教育組織や学位授与数,データサイエンティストが急速に増加している中で,日本だけが逆に減少していることが,今後の日本の科学技術研究の発展やイノベーションに向けた重大な問題であり,大量にデータサイエンティストを育成することが適当と述べられている。加えて,ビッグデータの利活用を効果的に進めるには,学術組織,研究開発機関,企業のマネジメント層を中心とするデータリテラシーを向上させ,データサイエンティストを利用する側の意識改革を行うことも欠かせないとしている。その後,情報・システム研究機構からの報告書「ビッグデータの利活用のための専門人材育成について」2),文部科学省からの報告書「大学の数理・データサイエンス教育強化方策について」3)などにおいても,具体的な提言がなされてきた。

「AI戦略2019」では,2025年度までに,大学・高専において,文系,理系を問わずAIリテラシー教育を年間50万人に展開することを目標に掲げている4)。さらに,自らの専門分野へのDS・AIの応用力を年間25万人の大学・高専生が習得することも目標としており,AIと各専門のダブルメジャーを可能とする環境を構築することを目指している(図1)。

前述の報告書3)を受けて,大学の数理・データサイエンス・AI教育強化のために,6大学が拠点校として設置され,数理・データサイエンス・AI教育の標準カリキュラム・教材を開発してきており,2019年度には,さらに20大学が協力校として設置されて,全国の国公私立大学等への普及・展開を図ると共に,指導教員を育成するための教員研修を実施してきた。

文系,理系を問わず,全ての大学・高専生50万人がリテラシーレベルの数理・データサイエンス・AI教育を学ぶことに加えて,医学部・歯学部の学生には,保健医療分野におけるAI技術研究を自ら進めることができる能力や,企業等の技術者と共同で保健医療分野におけるAI技術を推進する能力を身に付けることが求められている。ほとんどすべてが必修科目で時間割に余裕のない歯学部歯学科・口腔保健学科・歯科衛生学科等において,卒業時のコンピテンシーにデータサイエンスに関する新たな項目を追加することは容易ではない。2020年度には,医療系学部・学科の特殊性を考慮しつつ,全ての医学部・歯学部にデータサイエンス教育を普及させることを目的に,医学・歯学分野の特定分野協力校として東京医科歯科大学が選定された。

図1

「AI戦略2019」における教育改革に向けた主な取り組み。歯学部の学生には,自らの専門分野へのデータサイエンス・AIの応用力を修得することが求められている(『「AI戦略2019」の概要と取組状況』4)より引用)。

歯学部におけるデータサイエンス教育

本邦では,2020年度からすべての小学校でプログラミング教育が実施され,高校では情報Iが必修となった。数年後には,歯学部に入学するすべての学生が,デジタル社会の「読み・書き・そろばん」である数理・データサイエンス・AIの基礎を身に付けているだろう。この状況で,歯学部ではどのような教育が必要だろうか。図2に,歯学部歯学科・口腔保健学科・歯科衛生学科等における数理・データサイエンス・AI教育のカリキュラムの概要例を示す。リテラシーレベル,応用基礎レベルとして挙げられている授業項目の多くは,すでに多くの歯学部で教育されている内容であることに気づくだろう。ただ,今までは,主に歯学研究に必要な統計学を中心に,データを安全で効率的に扱うための情報リテラシー教育,情報セキュリティ教育が行われており,科目として独立していない場合が多かった。また,アルゴリズムやプログラミング,データの前処理・管理・加工,ビッグデータ活用の社会への影響と重要性などは,一部の大学で実施されてきたに過ぎず,歯学部生が系統的に学ぶ機会はあまり無かったかもしれない。

そもそも,歯科医師,歯科衛生士を目指す学生が,なぜプログラミングも含めたデータサイエンスを学ぶ必要があるか,疑問に思う方もいるだろう。文部科学省の「大学の数理・データサイエンス教育強化方策推進検討委員会」は,「情報技術の進展に伴って,社会から得られる膨大なデータの利活用は,今後の情報社会の根幹をなすものであり,その積極的な展開のためには,あらゆる分野において数理・データサイエンス・AI を理解し,具体的なデータに対して利活用できる能力を持つ人材が,獲得したスキルに見合った様々な場面で活躍する社会を一日も早く構築することが必要」と述べている5)。歯学部で統計やプログラミングなどのデータサイエンスを学ぶことは,研究力や論理的思考力を培うためのみならず,今後の情報社会の中で歯科医療人として,社会から得られる膨大なデータを利活用しながら活動するために,必須の知識と技術を身に付けることに他ならない。

日本歯周病学会で2021年に発足した「臨床データベース委員会」では,歯周病に関連する臨床データベースの構築とその利活用を目指している。蓄積される膨大なデータを利活用するのは,歯科医師,歯科衛生士をはじめとする日本歯周病学会員であり,その専門分野において,数理・データサイエンス・AIを理解し,具体的なデータに対して,安全かつ効率的に利活用できる能力を有している必要がある。ICTを最大限に生かした「超スマート社会」において,日本における歯周病学をデータサイエンスの側面から牽引する人材を育成するためにも,全国の大学歯学部等における数理・データサイエンス・AI教育の強化は急務といえよう。

図2

歯学部歯学科・口腔保健学科・歯科衛生学科等において,将来,保健医療分野におけるAI技術研究を自ら進めることができる歯学・口腔保健学研究者,もしくは,企業等の技術者と共同で保健医療分野におけるAI技術を推進する能力を持った歯科医療人になるための素養を身に付けることができるカリキュラムの概要例。

日本における医療ビッグデータの利活用

このような中,日本では巨大な医療ビッグデータであるレセプト情報が利活用されてきた。レセプトやカルテの電子化と国民皆保険のおかげで,少なくとも保険診療の大部分は,「レセプト情報・特定健診等情報データベース」というナショナルデータベース(以下NDB)として整備されており,厚生労働省のガイドライン「レセプト情報・特定健診等情報の提供に関するガイドライン」6)が定められてNDBが運用され,データの社会還元が行われている。同ガイドラインに則ってレセプト情報等の提供依頼を申し出れば,大学や行政機関等であれば,審査の上,匿名化されたデータの貸与を受けることができる。国民の財産である貴重なデータを研究開発に資する形で社会に還元する取組として画期的であり,今後の利活用と発展に大いに期待したい。

恒石は,歯科分野で初めて,このNDBの貸与を受け,医科医療費と歯数との関連を分析した結果を報告した7)。同研究では,ある月の歯周炎病名を持つ40歳以上のレセプトの内,医科レセプトと結合できたレセプトを対象として分析が行われ,歯数が9歯以下の者の方が20歯以上の者と比べて医科医療費が高いことが明らかとなった。このような,NDBを用いた歯学研究が今後も盛んに行われることが期待される。ただ,現在の審査方針8)では,多数の項目を用いた探索的研究は慎重な審査を行うとされている。データサイエンスでは,検証すべき仮説を立てる前に,まずはデータに触れてみて,可視化したり,分類したり,データのパターンやルール,関係を探り出す「探索的データ分析」が必要といわれている。本来はNDBデータのようなビッグデータで探索的データ分析が実施できることが理想だが,仮説が明確で項目を絞ったデータの貸与を受ける研究に比べてハードルが高いようである。

日本における歯周病関連の後ろ向き研究

歯周治療目的で記録される診療データを二次利用して行う後ろ向き研究も行われている。三辺らは,サポーティブペリオドンタルセラピー(SPT)管理中の重度歯周炎患者208名の初診時,スケーリング・ルートプレーニング(SRP)後,SPT開始時,最新SRP時の病歴と治療歴をデータベース化し,初診時の喪失歯数および喫煙,SPT期の不定期受診などが歯周炎再発の有意なリスク因子であることを示した9)。また,井上らは,日本歯周病学会の歯周病専門医・認定医の電子申請書類として8施設で提出した113症例のデータを用いて歯周炎症表面積(periodontal inflamed surface area;PISA)に関する分析を行い,PISAがBOPと高い相関を示し,中等度以上の歯周炎では,初診時約1,500 mm2からSPT時100 mm2未満に減少することを明らかにした10)。これらの研究は,研究者や臨床家が自らの努力で過去の診療データを集めて行われた貴重な研究であるが,各研究者,各機関の努力のみに頼ることには限界がある。

臨床データベース委員会の発足

今後は,日本歯周病学会として臨床データベースを構築し,適切なルールの下で利活用できる体制が求められており,2021年に日本歯周病学会「臨床データベース委員会」が発足した。同委員会には,日常,ルーティーンで記録される臨床データ等を中心に,それらを電子的に蓄積,匿名化して臨床データベースを構築し,そのデータを公平,公正に利活用するルール作りと運用が求められているだろう。最終的には,臨床データベースから得られる新しい知見により,日本におけるエビデンスを提供し,歯周病患者の利益となる成果によって,データが社会に還元されることを目指すべきと考えられる。

今回の論文に関連して,開示すべき利益相反状態はありません。

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