速さという言葉で直観する内容には,定義されている概念とは違った意味を含んでいることに正しく気づいて,慎重に指導している教師は少ない。日常「速い」という場合,「動きが急だ」「時間的に短い」ということを意味しているのであり,だから昔から速さを競うスポーツでは,一定距離をだどる時間の短さで争われた。速さから直覚されるのは,時間であって距離ではない。目に見える具体量としての速さの認識により,目に見えない抽象量である時間の計測が可能になる。決して時間の認識が速さの認識より先にくるのではない。運動の概念を理解するためには,子どもはこの二重の障害を突破しなければならない。