抄録
チンパンジーの利他行動と他者理解について実験的に検討した。近年の実験研究を比較検討した結果、チンパンジーが利他的に振舞うのは、(1)食物以外の物を媒介とするとき、(2)相手から明示的な要求行動があるとき、であると考えられた。そこで本研究では、食物でなく道具をやりとりさせる場面を設定し、チンパンジーが相手の必要としている道具を相手に渡すかどうかを検討した。隣接する2つのブースに、2つの異なる道具使用場面を設定した。ストローを使ってジュースを飲むストロー場面と、ステッキを使ってジュース容器を引き寄せるステッキ場面である。ストロー場面の個体にはステッキを、ステッキ場面の個体にはストローを渡し、ブース間のパネルに開いた穴を通して個体間で道具が受け渡されるかどうかを調べた。母子3組と非血縁個体3組で実験した結果、母子では双方向的に道具の受渡しがみられたが、非血縁個体間では、劣位な個体から優位な個体への一方的な道具の移動がみられた。道具の移動を「奪われる」・「要求に応じて渡す」・「自発的に渡す」に分類すると、それぞれ、10.6%・74.7%・14.7%だった。劣位個体が道具を獲得できなかったのは、優位個体に対して要求行動を示さなかったからであると考えられる。母子の双方向的な道具の受渡しが「互恵」によって支えられているのかどうかを検討するため、一方の個体だけが道具を持っている条件を24セッション連続でおこなった。他者からの見返りがないこの場面でも、道具を渡す行動は維持された。これらの結果から、チンパンジーは、報酬がなくても他者の要求に応じて利他行動をみせることがわかった。このことは、チンパンジーが他者の明示的な欲求を理解し、他者を助けようという利他的な動機付けを持っていることを示している。道具を用いた新しい実験設定により、チンパンジーの利他行動における他者理解の一面が明らかになった。