抄録
アカンボウを運搬するタイプの動物種は,多大な物理的・エネルギー的コストを代償に,自身の子を様々な危険から保護している.ニホンザルのように特定の巣を持たず遊動して生活する種の場合,移動能力の低いアカンボウが群れからはぐれないように管理することも重要である.これまでの研究から,母親の行動や周辺環境,特に地形の違いに応じて運搬の生起頻度は変化し,母親がコストとリスクのバランスを取りながら柔軟に育児投資を調節していることが明らかとなってきた.しかし,環境がもたらす具体的なリスクや,コストを軽減するために母親がどう対応しているかについては,まだ十分な検討がなされていない.
本研究では,母親がアカンボウを運ばなかったときの母子間距離に着目し,母親の行動や地形の違いに分けて比較を行った.母子間距離はアカンボウの成長にともなって広がっていく傾向にあるが,細かく見ていくと手が届く範囲でアカンボウを連れて歩くかどうかや,視界外の距離に置き去りにするかどうかは,地形や行動によって差異があった.例えば,砂浜や海岸などでは,発達初期のまだ自立歩行が不可能なアカンボウを体から離し,母親が離れようとする場面が見られた.この際,アカンボウに何か問題が生じれば,母親はすぐにアカンボウを回収することができた.また,砂浜や緩やかな斜面では,生後 1ヶ月ごろから徐々に母子間距離が広がっていったが,海岸では手の届く範囲内にいる状況が長く続いた.岩だらけの海岸は段差や遮蔽物が多く,ある程度距離がひらくと死角だらけとなってしまう.実際に,母子の距離がさほど離れていないにも関わらず,アカンボウが母親を見失ってロストコールをあげる場面も確認された.こうしたことから,視界の良さや回収のしやすさが母親のリスク判断に影響を与え,母子間距離や運搬の有無を決める一因となっている可能性が示唆された.