抄録
ヒト(Homo sapiens)は,他の動物と比べて特異に高い向社会性を示す.非血縁個体間での利他行動の進化を支える仕組みとして直接互恵性と間接互恵性が提案されてきた.直接互恵性とは二者間で利他行動を交換して利益を得る仕組みである.間接互恵性とは他者に行った利他行動が別の他者から返ってくる仕組みのことで,集団の成員が第三者間のやり取りの情報から他者を評価し,その評価に基づいて利他行動を行うかを決定することで維持されている.先行研究により幼児の向社会的行動の交換では両方の仕組みが働いていることが示された.間接互恵性が働いているならば,個体は他者に観察されることに反応して行動を変化させることが予想される.またゲームを用いた実験によって,観察者の存在はプレーヤーの向社会性を上昇させることが明らかになっている.本研究では,ヒト幼児の直接互恵性や間接互恵性の成立しやすさが,周囲にいる観察者の数によって変化するのかを検討した.
保育園で, 5-6歳齢クラスに在籍する 70名の児を対象としてデータを収集した.追跡児 12名を選び,それらの児が他児(受け手)に向社会的行動を行った瞬間から 10分間の観察を行った.10分間の観察中に,受け手からのお返しがあるのか,ランダムに選んだ近接児 1人から間接互恵的な向社会的行動が起こるのかを記録した.また個体追跡中に追跡児の周囲 1mにいた児を記録した.
幼児は周囲に多くの観察者がいるほど間接互恵性を発揮しやすく,この結果から,幼児は他者の評価や評判に敏感に反応して向社会的行動を行っていることが示唆された.一方,受け手が向社会的行動を受けた瞬間に周囲に多くの観察者がいるときほど,受け手からの直接互恵的なお返しが起こりにくかった.この結果は予測と逆であった.直接互恵性の成立には二者間の関係が重要であり,周囲に多くの児がいると二者でのやり取りの機会が奪われるのかもしれない.