抄録
哺乳類の苦味感覚は、口腔に発現している苦味受容体タンパク質が、食物中の苦味分子を受容することで生じる。苦味受容体タンパク質をコードする遺伝子TAS2Rは、ヒトでは26種類あり、それぞれがアルカロイドやテルペノイドなどの多種多様な毒性のある分子を苦味として認識している。これまでに私は、チンパンジーのTAS2Rの塩基配列の亜種差や、TAS2Rの遺伝子数(レパートリー)の霊長類種間における差異の解析を通じて、植物食の依存性、とりわけ葉食適応が、TAS2Rの分子進化と関係していることを発見した(Hayakawa et al. 2012 PLOS ONE、Hayakawa et al. 2014 Mol. Biol. Evol.)。しかし、葉食に強く特化しているコロブス類のTAS2Rレパートリーや、チンパンジー以外の種内多型の解析についてはなされておらず、こうした葉食適応とTAS2Rの関係が普遍的なものと断じるには早急である。近年のゲノムシークエンス技術の進歩により、全ゲノム配列データを利用できる霊長類種や、個体レベルのゲノム配列の個数がますます増加している。本研究では、こうした利用可能な種レベル・個体レベルでの全ゲノム配列データを利用して、コロブスを含む20種を超える霊長類や、ゴリラ、オランウータンなどの類人猿に対し、TAS2Rレパートリーに関する比較集団遺伝解析を行なった。その結果、TAS2Rレパートリーの拡大はマカク、グエノン、コロブス類を含むオナガザル科の共通祖先で既に生じており、更にコロブス特異的なTAS2Rレパートリーも獲得されていることを見出した。また、チンパンジーで見られたような亜種分化に伴うTAS2Rの自然選択は、オランウータンの種間などにも生じていることが確認された。これらの発見は、霊長類における植物食性進化にTAS2Rの分子進化が普遍的に貢献していることを裏付けるものである。