抄録
ニホンザルの順位関係は,マカクの中でも厳格であることが知られている。しかし,集団内には優位個体の接近を気にしない緩やかな関係もあれば,優位個体を見るとすぐに逃走する緊張感の高い関係もある。こうした集団内の多様な関係に影響する要因として,個体の個性に着目した研究はほとんどない。本研究では,ニホンザルが互いの個性に応じて社会関係を調整しているのかを明らかにすることを目的とした。具体的に,優位個体の攻撃性の高さに応じて,劣位個体が逃避を開始する距離を調節しているのかを検討した。嵐山集団において非血縁個体間のサプラント場面をアドリブ法により動画で収集し,優位個体と劣位個体のダイアドごとの逃避開始距離が2m以上か未満かを記録した。さらに,優位個体の普段の攻撃行動の頻度を評価するために,オス6頭,メス32頭の計38頭(18.8 ± 10.4歳齢)を対象として日常場面の20分間の個体追跡を行い,威嚇または攻撃(追いかける・噛みつく)を記録した。総観察時間は337時間(8.9 ± 2.1時間/頭)であった。逃避開始距離を記録したダイアドのうち,この38頭が優位個体となったダイアドを解析に使用した。サプラントに加えて,威嚇または攻撃といった敵対的交渉をアドリブ法により記録して順位を決定し,ダイアドの順位差を算出した。攻撃行動の頻度について,個性の有無の指標となる反復率を計算したところ,順位や性別の影響を統制しても攻撃行動には時間的に安定した個性があることがわかった。逃避開始距離に関して,優位個体の普段の攻撃行動の頻度が高いと,ダイアド間の逃避開始距離が2m以上になりやすかった。順位差は逃避開始距離に影響していなかった。また,分析したダイアドのほとんどは個体追跡中に毛づくろい交渉がなかったダイアドであった。これらの結果は,ニホンザルは順位差よりも,優位個体の攻撃性を評価して個体間距離を調整していることを示唆している。