洛北史学
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論説
三五発卒攷実
六朝期の兵役・力役徴発方式と北魏の三長制
渡辺 信一郎
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2000 年 2 巻 p. 1-15

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抄録
小稿は、「三五占兵」「三五発卒」「三五民丁」などの表現によって、五胡十六国期から六朝期にかけてたびたび実施された、編戸農民からの軍役・力役の徴発方式を手掛かりに、六朝期における徭役編成の特質を明らかにしようとするものである。通常「三五発卒」方式は、『資治通鑑』胡三省注によって、「三丁につき二丁、五丁につき三丁」、もしくは「三丁につき一丁、五丁につき二丁」の徴発方式出会ったと理解されている。しかし「三五発卒」の実態を検討してみると、それは六割に達するような高率の徴発をしめすものではない。三五には三×五の意味があり、「三五発卒」とは十五丁に一卒を徴発する兵役・力役編成方式であった。南朝にあっては、この徴発方式の定着によって三五門層と呼ばれる庶民下層階級を生みだし、北朝にあっては、北魏の三長制村落組織に構造的に組み込まれることによってその完成形態を獲得した。
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© 2000 洛北史学会
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