抄録
日清戦争以前の「朝鮮中立化構想」は、すでに多くの研究がある。けれどもこの構想を成立させた経過、構想じたいが経た変遷、構想がけっきょく実現しなかった動因については、なお再考の余地が残っており、本稿はいずれにも、清朝と朝鮮のあいだに存在した「属国自主」の関係が、大きく作用していた事実を明らかにした。まず井上毅の発案が「属国自主」に対抗するものだった。やがて中立化実現に関連し、日清の朝鮮共同保護案も浮上してくるが、ともに清韓双方の容れるところとはならなかった。日清・露清がそれぞれ、朝鮮問題に関する了解に達するに及び、清韓の「属国自主」とあいまって、「勢力の均衡」を成り立たせ、朝鮮中立化がめざした機能の代替をなすに至ったのである。