イノベーション・マネジメント
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査読付き研究ノート
Co-Innovationコモンズの生活の豊かさ革命
―「共豊潤縁」基軸パラダイムへの転換―
池田 啓実齊藤 弘久
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2025 年 22 巻 p. 327-347

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要旨

本稿の目的は、資本主義経済では当たり前とされてきた経済成長を基軸とする生活の豊かさ実現パラダイムはすでに不適合状態にあるため、それに代わる新たな基軸パラダイムの特定とその体現手段を明らかにし、その手段の企業活動のあり方や社会的存在価値向上に対する効果を解明することにある。分析の結果、経済成長の基軸機能は、経済成長の3要素が、資本ストックは過剰、労働人口は低下、技術進歩もその動力源の物質的欲望の拡張限界からプラス成長が望めないためすでに不全状態にあること、新たな基軸は、我々が「共豊潤縁(Co-Flourishing Relationality)」と呼ぶ「自己が他者や自然と互いに豊潤となるつながり」にあることを見出した。さらに、「共豊潤縁」の醸成・拡大・多様化は、公富(public wealth)創造の基盤であるCo-Innovationコモンズ・エコシステムによって実現しうること、企業のCo-Innovationコモンズへの参画は、公富創造の貢献を通じた企業の社会的存在価値の上昇と、企業利益重視の経営では得られない、技術、経営、感性の3成分のイノベーション創発を体現し、かつ創発手段をエンクロージャーから共有資源(使用価値)の共創へ転換しうることを理論的に明らかにした。

Abstract

This paper aims to clarify the contours of a new paradigm of “co-flourishing relationality”—capable of replacing the existing capitalist one of “economic growth” that has reached the limit because of its narrow definition of wealth—how it can be realized, how it could affect business activity and how it might contribute to value creation.

First, we illustrate how the paradigm of economic growth is malfunctioning because capital stocks are excessive, the productive population is declining, and the growth of material desires as the driver of technological progress has reached its limits. We then propose the alternative paradigm of “co-flourishing relationality”, in which people join one another to collectively attain prosperity in harmony with nature.

Specifically, we show how the co-innovation commons ecosystem helps create public wealth that enables co-flourishing relationality to emerge, expand, and diversify; and, equally important, how corporations might participate in the co-innovation commons not only to expand public wealth and hence increase their own value to society, but also to facilitate new forms of innovation in technology, management, and aesthetics that embody the co-creation of shared resources, breaking away from the old paradigm driven by enclosure and the corporate profit focus.

1.  はじめに

近年、急速に研究が進むCo-Innovation(以下、CoI)は、人々の生活を豊かにすることが目的にあるが、いまだ定義も特定されず、特性についても明確ではない。ただ、その重要性は世界的に認知されていることから、国内では、九州大学や愛媛大学で教育研究にCoIを掲げる学部創設、東京大学や大阪大学での企業等との共同研究の組織化に加え、2022年度には文部科学省が地域・社会における課題解決や新たなイノベーション創出のための「イノベーション・コモンズ(共創拠点)」の整備充実などを開始した。また、岐阜県飛騨に、宮田裕章を学長候補にCoIを名に冠する新しい大学の設立準備も進んでいる。

一方、海外では、CoIに関する研究が2010年代後半から始まり、2020年代に入り活性化している。国際的にCoI研究を牽引している分野は、概して二つある。一つは、Janardhanan and Murun(2023)Janardhanan et al.(2023)の研究が代表例の脱炭素化を軸とする再生可能エネルギーの技術開発や、Fielke, Taylor, and Jakku(2020)及びRose et al.(2021)などに見る農業のデジタルトランスフォーメイション(DX)とスマート化などの地球環境に関する具体的なケーススタディ。もう一つは、イノベーションに関する理論的な研究で、CoIがどのようにイノベーションをよりオープンで持続可能的なものにするか(Adomako and Nguyen(2022)及びBresciani et al.(2021)の研究など)や、Lafuente et al.(2023)やMadsen and Cruickshank(2022)が取り組むCoIを可能にする組織的構造やエコシステムとはなにかを考察するものである。

しかし、これら研究は総じて、暗黙裡に人々の生活の豊かさ実現パラダイムの基軸は経済成長のままとする。だが現実は、経済成長では人々の物質的豊かささえも体現できない事態にある。この点において、宮田(2022)が提唱する「Better Co-Being(ともによりよくあること)」を基軸とするデータ駆動社会のモデルは例外的である。ただ、多元的な価値観を持つ人々がデータを介して共創し、それぞれ独自の物質的・精神的豊さを実現するという宮田の提言は先鋭的ではあるが、理論的な基盤が明確に提示されているとは言い難い。それゆえ、経済成長に代わる新たなパラダイム基軸を特定し、新基軸がパラダイムを体現するための必要要件をはじめ、CoIの創発や創発組織としてのコモンズとの関係を解明することは喫緊のテーマと考えた。

本稿は、上記の問題意識と目的から次のように分析を行った。まず2章において、経済成長基軸パラダイムが不適合であることを理論的に明らかにし、3章で、転換すべきパラダイムの基軸の特定と新基軸パラダイム体現に必要な要件を抽出する。さらに、4章において、CoIコモンズ・エコシステムの新基軸との関わりや生活の豊かさ実現の革命性を可視化し、最終章で、本稿の成果の概要、仮説の説明用事例から得た結論の概要及び今後の課題について述べる。

2.  経済成長基軸パラダイムの限界

2.1  パラダイムの体現構造

(1)  イノベーションと物質的欲望拡張の相乗的結合

資本主義においてイノベーションが重視されるのは、それが経済成長、企業の成長の重要要因だからに他ならない。ただし、そのイノベーションが実効性を持つには、個人消費などそれに見合う需要の存在が必要である。対応する需要がなければ、価値の創造にならないからである。だが、イノベーションは価値を創造し続けてきた。それを可能にする需要が生み出されたからだが、それはなぜ可能だったのだろうか。

この問いの解が、「自らの生活が物質的に豊かになることへの欲望(以下、物質的欲望)」フロンティアの開拓にあると示したのが佐伯啓思(2009)であった。佐伯(2009)は、資本主義とは、企業が、たえず、新たな利潤を求めて蓄積した資本を積極的に投資し、しかもそのことが経済社会全体の物質的な富の拡大に決定的な重要性をもっている活動であり、それが物質的欲望を拡張し、それに対して物的な(あるいは商品という)かたちをたえずあたえてゆく運動だと捉えた。つまり、資本主義における消費者の物質的欲望の拡張と企業の新たな利潤機会の獲得は、企業と消費者の共犯によるトータルな運動であり、その両者が結合して物質的欲望のフロンティアを拡張してゆこうとする自動運動となるとみたのである1

これに加え、彼自身は明確に論じたわけではないが、佐伯(2009)の分析は、欲望の対象の商品化にはイノベーションの創発が必要なため、物質的欲望の拡張(消費の増大)とイノベーションの創発(投資の増大)が相乗的に結合し合う関係にあること、そして、このとき経済は、物質面で経済成長が人の生活を豊かにするパラダイム(以下、経済成長基軸パラダイム)が体現していることを我々に知らしめた。

いま、経済は、検証に必要な最小限の構造、具体的には経済主体を国内の民間に限定(政府支出=0、貿易=0)すれば、国内総生産(Y)と消費(C)、投資(I)の需給一致式は「Y=C+I」となる。さらに、佐伯(2009)の論理に従い、消費(C)、投資(I)を物質的欲望(Dm)に非依存の「C-0I-0」と依存する「CD=αDmID=βCD」に区分し、議論簡単化のため、非依存分は不変(定数項)、消費と投資の物質的欲望反応係数をそれぞれ「0<α<1、0<β<1」とすれば、物質的欲望と国内総生産の関係は下記(1)式で表すことができる。それを図式化したのが【図1】である。

図1 物質的欲望と国内総生産の関係式

(出所)筆者作成。

(1) Y=C-0+I-0+α1+βDm

0<α<1, 0<β<1, 0<α1+β<2

上記(1)式で注目すべきは、物質的欲望の変化に対する消費と投資の反応係数からなる直線の傾きにある。物質的欲望の変化のほとんどが消費と投資に転化する「傾き①(α≒1、β≒1)」の経済は、「物質的欲望の拡張(消費の増大)とイノベーションの創発(投資の増大)が相乗的に結合し合う関係」にある場合に成り立ち、経済成長基軸パラダイムは体現する。逆に、それが消費にほとんど結びつかない「傾き②(α≒0)」の経済では、この関係は成立せず、パラダイムも体現しない。

(2)  物質的欲望の連鎖的拡張の実現

経済成長と物質的欲望の拡張スパイラルがとくに顕著となったのは、大衆消費社会をもたらしたアメリカ資本主義だと佐伯(2009)はいう。その根拠に、商品生産の変化と消費行動の変化をあげる。この時代のアメリカにおいては、はじめてモノから文化や歴史の文脈が切り離され、ただ便利で、すぐれた質を持ち、誰でもが使える普遍的商品の生産方法の確立に呼応するように、物質的幸福の追求が国民的パッションとなり、それを消費によって操作してゆくことがアメリカ流の生活となった。さらに、移民社会、大衆社会という条件のもとで、人々は、「相互の視線」を、そこからくる強迫観念を、不安感を物質的欲望に転化するようになったことで、その充足である消費も「他人のまなざし」を必要とするようになったとする2

上述のプロセスはアメリカ資本主義での話だが、経済成長が物質的欲望の拡張によって実現というのは、資本主義一般のことだと佐伯(2009)はいう。というのも、人間社会は基本的生存水準以上の生産力を有するため、雇用の維持のためにはこれを処理し続けなければならない。かつては、富豪の蕩尽や戦争によって処理した時代もあったが、近代国家では、それは人間の欲望の開拓によるしかない3。これが佐伯(2009)の考えである。確かに、現代社会において、富豪の蕩尽、ましてや戦争によって過剰生産を処理するなどはあり得ない。とはいえ、アメリカ資本主義以前は、この時代のように、人が、制約もなく過剰生産の解消に見合う物質的欲望を醸成しモノに換える(消費する)ことができたわけではない。

資本主義の物質的欲望は、【図2】にあるように、モノの供給能力の限りから、元来、共同体や自然、家族など多くの制約を受けるものであった。だが、17世紀後半の農業革命が共同体制約を排除しその限界の突破口を開いた。広井良典(2001)によれば、農業革命は、限られた生産物を分け合うのに必要だった倹約を美徳から利己的行為へ、経済成長に必要な浪費は社会的に望ましい行為へ評価を逆転させたという4。さらに、産業革命は、生産と欲望の形成から土地等の自然制約を解放したといい、アメリカ資本主義に誕生した大量生産は、佐伯(2009)が指摘したように、物質的欲望フロンティアの開拓から家族制約も取り除いたのである。

図2 物質的欲望フロンティア開拓の構図

(出所)佐伯啓思(2009)広井良典(2001)の論理を参考に筆者作成。

このように、資本主義における生産革命は、その都度に、係る制約を排除することで生産能力の拡大と、佐伯(2009)が欲望の「外爆発」「内爆発」と呼ぶ物質的欲望の拡大5をもたらし、それを契機に、一層の消費(過剰生産の吸収)と投資(将来の供給能力)の増大を生み出してきた。その行き着いた先が、現代社会ということである。

2.2  パラダイムの不適合化

(1)  物質的欲望拡張の限界

経済成長基軸パラダイムがパラダイムとして意味をなさなくなるのは、(1)経済成長が生じなくなる(パラダイム不全要因①)、(2)経済成長では人の生活を豊かにできなくなるとき(パラダイム不全要因②)である。すでに知られているように、経済成長は、(1)資本量、(2)労働力人口、(3)技術進歩(イノベーション)の変化に依存する。ところが、日本では、資本量と労働力人口が経済成長をもたらすことは不可能な状態にある。水野和夫(2016)が説くように、資本量はすでに過剰状態にあり、労働力人口も出生率の低さによる人口減少から成長要因には到底なりえないからである6。残された道は技術進歩の上昇だが、それも難しい。技術進歩の原動力となってきた物質的欲望フロンティア開拓が限界だからである。原因は、物質的欲望の対象が自分自身に至ったこと(【図2】の個体制約位相)にあると佐伯(2009)は分析した。

欲望が消費の動力であるのは、人がモノを通して自身のアイデンティティを確認するからであるが、アメリカ資本主義の他者のまなざしによるモノの消費は飽和状態(【図1】の傾き②のケース)となり、アイデンティティの確認には利用できなくなった。他者という「外」は欲望の対象ではなくなったいま、開拓できる欲望の領域は、自分自身だけというわけだが、この変化は、物質的欲望の形成にも変化をもたらすことになった。この点について佐伯(2009)は、人には「本当の自分などない」から、自己実現を動力に物質的欲望を形成することはできない。それゆえ、消費動機は、浮遊性が高く消費ベクトルが定まらない好奇心となるとする7。結果、技術的フロンティアの開拓(イノベーション創発)は、無条件で物質的欲望のフロンティアと結合することはできなくなったというのである。

以下は、上記の論点を整理したものである。経済成長基軸パラダイムが、人の生活を豊かにするパラダイムとしての有意性を失ったことは明らかであろう。

① 現代日本社会は、経済成長の3要素(資本量、労働力人口、技術進歩)すべてでプラスの変化が見込めない状態に至っている。(パラダイム不全要因①の成立)

② 他者のまなざしによる物質的欲望からのモノの消費は、飽和状態(【図1】の傾き②のケース)に至った。欲望の拡張と経済成長のスパイラルは機能不全となり、経済成長は、人の物質的な豊かさを体現できなくなった。(パラダイム不全要因②の成立)

(2)  消費の質的変化への不適応

現代社会の消費は、極めて多様である。たとえば、広井(2001)は、人々の基礎的な需要はすでに満たされたことにより、モノの消費の比重は、物質的素材が判断基準の「マテリアルな消費」から、モノそのものよりデザインや付加価値が主たる決定因となる「情報の消費」へと移行しているし、それどころか消費の脱物質化がすでに始まっているという8。「時間の消費」と「根源的な時間の発見」である。前者は、基本的には市場内部で生成するもの、たとえば、①余暇・レクレーションに関わる分野や、②介護や保育など「ケア」に関わる分野、③生涯学習やスキルアップ、教育、趣味など「自己実現」に関わる分野をあげ、後者は、「コミュニティ」や「自然」など市場そのものからはみ出していくような、「時間」との関りとして定義する9

こうした時間に関わる消費や発見行為は、人が人として自分らしく豊かに生きていくために求める点において「欲求性」を帯びる。そこで、いま、「時間の消費」のように欲求からの消費を「欲求性消費」、「根源的な時間の発見」のような非市場性の活動を「欲求性時間創造」、こうした志向を「欲求性志向」と呼ぶとするとき、これらの体現にとって経済成長基軸パラダイムは、果たして有意なパラダイムとなりえるだろうか。答えは「NO」である。

経済成長が物質面で人の生活を豊かにし得たのは、成長要因である技術進歩(技術イノベーションの創発)が物質的欲望の拡張とスパイラル的に結合し続けられたからに他ならない。ところが、非物質の、人であるための欲求による消費と時間創造は、明らかにこの結合サイクルの「外」に位置づくことになる。欲求性志向が、経済成長基軸パラダイムの対象にならないことは言を俟たない。

3.  「共豊潤縁」基軸パラダイムの特性と体現要件

3.1  「共豊潤縁」の特性

(1)  豊かな生活の基盤土壌

欲求性志向の昇竜は、生活の質の重心が物性から心性へ移行していることの証左である。こうした心的欲求が重視される背景には、広井(2001)が指摘した経済成長の背後で突き進んだ「人の他者と自然との分離(独立)」があると考える10。それは、人は、本来的に、絶えず他者との関係において存在する社会的存在だからである。人が人として自分らしく豊かに生きていくには「他者と自然とのつながり」が必須であるにもかかわらず、広井(2001)の指摘にあるように、経済成長は、これらつながりを分断し続けてきた。気づけば、経済成長は、生活の豊かさ体現の能力を失ったばかりか、他者や自然とのつながりを断ち切り続けたことで「関係の貧困」の元凶へと変貌していたのである。

この資本主義の負の副産物である「関係の貧困」は、「個人の自律的価値形成力11」の脆弱化を通して、現代日本の社会病理や人生と生活の貧困化をもたらしたと論じるのは法哲学者の井上達夫である。自律的価値形成力は、井上(2016)が、自己の内部に「生活の手段に人生の意味を簒奪させて生活自体をも狂わせてしまうような同調圧力に抵抗する価値を自律的に形成する力12」と定義するもので、生活の豊かさ体現にはこれが豊饒でなければならないとする。ところが、「関係の貧困」や人々の生の価値序列における経済効率追求重視によって価値形成力は貧困化し、これが基に生の貧困化、それに伴う変革の主体性の貧困化が社会構造全体に浸潤したことで社会病理が発現し、人生と生活の関係性逆転の同調圧力に抗う力が弱ったことで個々の人生と生活の貧困化を招いたというのである13

様々な問題の元凶と井上(2016)が指摘する「関係の貧困」は、とりわけ日本人の人生や生活の豊かさ体現に深刻な問題をもたらす。そう捉える根拠は、臨床心理カウンセリングから河合隼雄(2022)が発見した西洋と東洋(とくに日本)の個性(identity)の形成の違いにある14河合(2022)は、西洋は個人主義に基づく「個人性(individuality)」、日本は仏教的考えに強く影響を受けた「個別性(eachness)」だという15。このとき河合(2022)が個別性の理論的拠り所としたのは、華厳経の「すべてのもの・人には、他の一切のものが隠れた形で渾然と含まれ、他者や自然の関わりを通して、そのうちのある要素が「有力」に、他の要素が「無力」になることで個性が生まれる16」という縁起の理法である。この理法に立てば、日本人にとって「関係の貧困」は、自らの個別性形成を脆弱にし、自身の人生や生活の豊かさ体現にとって何が大切かに気づくことを困難にすることになる。

ここまで「関係の貧困」が社会や個人にもたらす問題をみてきたが、ここで1つ明確に言えることがある。それは、自己が他者や自然と互いに豊潤となるつながりは、日本人の豊かな人生や生活の体現にとって不可欠の要素、つまり、豊かな生活の基盤土壌だということである。そこで、以後、このつながりを「共豊潤縁(CFR; Co-Flourishing Relationality)」と呼ぶとする。

(2)  自他非分離の自己形成との親和性

上述の縁起の理法には、人間を含め、すべてのものに「自性(それ自体が定まった本質)」はなく、その中で独自性が生じてくるのは縁起によるという考えが根底にある。この観点から見れば、資本主義の下で人々が、物質的欲望の充足に人生を掛けて邁進する一方で、他者や自然とのつながりの消失に無頓着であったのは、資本主義的経済成長が、物質的欲望を有力化し、他者や自然とのつながり意識を無力化した結果とも言える。

これまでの分析は、現代社会において物質的欲望を追い求めることは「生活の豊かさ実現」には無意味であることを明らかにした。だが、佐伯(2009)が指摘したように、消費者の物質的欲望の拡張は、企業に強制されたものではない。これを縁起の理法で語れば、人の物質的欲望への固執(有力化)は、経済成長の生活の豊かさ実現パラダイムを信奉してきたからであり、新たなパラダイム基軸要素が「共豊潤縁」だと認識できれば、物質的欲望志向は無力化されていくということになる。それは、【図3】のグラフのように、人が「共豊潤縁」をパラダイムの新基軸と認知できれば、「共豊潤縁」の知覚感度は向上(有力化)し、物質的欲望志向は低下していく(無力化する)ということである。

図3 物質的欲望志向と「共豊潤縁」知覚感度の関係

(出所)筆者作成。

では、「共豊潤縁」の知覚感度は、どのようにすれば向上(有力化)するのであろうか。この問いには、清水博(20062009)の自己言及(自己表現)に関わる論理が参考になる17

清水(20062009)は、縁起の理法の観点から、経済成長を牽引した技術イノベーションが基礎に置く西洋科学は、自他分離(対象の事象を客体化)することで、様々な事象の構造とその進化の十分条件を解明し今日の科学の発展に大きく寄与した一方で、自己言及(自己表現)のパラドックス化を招いたという。自己言及(自己表現)には、他者を分離せず自らも含む場所を俯瞰的に捉え、その場所において自他分離の自己中心的自己のオリジナルなシナリオと他者のオリジナルなシナリオを自他非分離の場所中心的自己によって刻々と互いが誘導合致することが必要だが、自他分離の西洋科学の発展によって自他非分離の場所中心的自己が形成不全化し、それゆえに自己言及(自己表現)が自己を自己の視点からだけで捉え続ける持続不可能な状況に貶められるパラドックスに陥ったというのである18

以上の論理から描ける社会は、経済成長牽引の西洋科学の発展と自他非分離の場所中心的自己の形成不全化、それに伴う人々のナルシシズム的思考と自他非分離の自己形成と親和的「共豊潤縁」の知覚感度の低水準(無力)化という、まさに現代社会そのものなのである。しかし、逆に言えばこれは、人は、自他非分離の自己を健全に形成できる環境、関係性の豊かな空間に身を置くならば、「共豊潤縁」の知覚感度は向上(有力化)する可能性があるということに他ならない。

3.2  パラダイム体現の基軸であるための要件

(1)  信頼共同体の形成

近年隆盛をみる欲求性志向は、それが消費であれ時間創造であれ、自身の審美観や価値規範に基づいて行われるものである。それゆえ、この志向が豊かなものであるためには、この基準が豊かでなければならない。この点に関し井上達夫(2016)は、それには、これまで出会っていない多様な人たちとの生の関りが極めて重要だという。それは、現代社会が「関係の貧困」にあるのは、「自己の内奥を揺さぶるような異質な生との出逢いに欠け、多様な生の諸形式が交錯し、衝突し、刺激しあい、誘惑しあうことにより、互いの根を深め、地平を広げあうような豊かさに欠けている」からであり、「現代の社会病理の克服には、多様なものが棲み分けるのではなく、むしろ相互に侵犯しあうことにより、互いを活性化し、ダイナミックに発展してゆくような「関係の豊かさ」が必要」との認識にあった19

この井上(2016)の認識は、つながりの消失プロセスからだけでも妥当と言えるのだが、実は、理論的にもその妥当性は確認できる。それが、ダンカン・ワッツとストローガッツが1998年に発表した「スモールワールド・ネットワーク(SWN; Small World Network)」理論である。彼らは、グラフ理論を用いて人や組織がつながる経験則を“構造的な穴”に陥っている必要な情報の入手を可能にするネットワークとして可視化した。SWNは、多くは近しい関係の人・組織のつながりだが、一部に発生するリワイヤリング(伝達経路のつなぎ直し)によって情報伝達特性を著しく活性化する20、まさに「共豊潤縁」体現のネットワークである。また、西口敏宏(2009)の研究から、リワイヤリングはノード間の相互信頼から生じることから21、SWNは、信頼をベースとする共同体(以下、信頼共同体)でもある。

以上のことから、「共豊潤縁」は少なくともSWNのような信頼共同体には発現する可能性は高い。ただし、山岸俊男(2011)の信頼の構造に関する研究成果22を基に筆者の一人である池田啓実(2021)が導き出した、信頼共同体は、共同体の習合度(異物との共生の程度)を高め、ステークホルダー全員が清水博(2009)が提唱する「共に存在することの承認」を受容という要件を充足していることが必要である23。SWNは、明らかにこれを満たす構造にある。

(2)  商品生産の有機的生産体系化

消費が物質から時間に移行し、他者や自然とのつながりがほとんど消失した現代において、生活を共に豊かにする商品は、他者や自然とのつながりの体現に寄与するか、少なくともそれを実感できるモノであることが求められる。だが、物質的欲望に対応する生産思想や体系で、これを実現することはできない。

現代社会の生産思想は、佐伯(2009)が説いたように、主流のアメリカ資本主義商品生産が普遍性に重きを置くがゆえに、商品から文化や歴史など他者や自然とのつながりを排除する思想にある。また、生産体系も、北原貞輔・伊藤重行(1991)が解明したように、「機械部品間の関係や自動化工程の工程間関係に代表される相互の間に“ゆとり”や“むだ”のない、ある意味で“合理的因果性”の成り立つ関係24」からの生産がいまだ主流であり、そこで成り立つ最適性や効率性が重視されるが、情況に少しでも変化が起こればそれらは全く無意味になる、彼らが呼ぶところのハード・システムである25。明らかに、この生産体系に「共豊潤縁」の視点が組み込まれる余地はない。

一方、デカルト流の要素還元システムが基盤にある上記の生産体系では、“合理的因果性”の成り立つ関係が担保されることが重要であるため、生産ステークホルダーに求められるのは、部品規格(モジュール)の合致だけである。名付けるとすれば「無機的生産商品」である。ならば、「共豊潤縁」がベースの場合は、「有機的生産商品」というところであろうか。この商品生産で必須となるのは、すべての生産ステークホルダーの商品に対する想いやその根底にある価値規範といったそれぞれのアイステシス(審美観等の感性)の相互承認だからである。まさに、「共豊潤縁」が体現する生産体系である。

4.  CoIコモンズの革命性

4.1  「共豊潤縁」の拡大と多様化の源泉

(1)  CoIコモンズ(公富)の基本構造

新基軸「共豊潤縁」による生活の豊かさ体現手段の1つは、【図4】にあるような公富(public wealth)のCoIコモンズを核とする「CoIコモンズ・エコシステム」である。その根拠は、以下に示すシステムの基本構造にある。

図4 CoIコモンズ・エコシステム

(出所)筆者作成。

CoIコモンズ・エコシステムは、3つのパートで構成され、互いが連関しながらそれぞれの機能がスパイラル的に向上する構造にある。まず、基盤のCoIコモンズは、CoI創発の素材となる共有資源を発見・創造する装置である。その共有資源は、①人が豊かに生きる未来社会に必要な「イノベーションの種(以下、イノベの種)」と②「CoIコモンズ文化(CoICC; Co-Innovation Commons Culture)」があり、公富の特性からいずれも共豊潤性を帯びる使用価値(use value)である。これら使用価値はその後、多くの人々が享受できるよう協働主体企業やCoICC体得者によって交換価値化、社会価値化される。具体的には、「イノベの種」は協働働主体企業等に提供されて共豊潤を体現する商品(共豊潤性商品)して交換価値化(「イノベの種の交換価値化」フェーズ)され、「CoIコモンズ文化(CoICC)」は、CoICC体得者が緩やかにつながることで「CoIコモンズ文化伝播プラットフォーム」化し、CoIコモンズの立ち上げやネットワーク化の醸成基盤という社会価値となる。さらに、このプロセスは、交換・社会価値創造実践者に、CoIコモンズは次世代に引き継ぐべき貴重な共有地(コモンズ)という認識を醸成し、彼らの継続したCoIコモンズへの関与を生み出すことになる。

以上が、CoIコモンズのエコシステムの基本構造であり、互いの関与が各々の成果を豊かにする点において正のスパイラル構造にある。しかも、この循環運動を通して互いが豊かになる関係性が生み出される。この関係性こそが「共豊潤縁」である。

このような「共豊潤縁」をベースとするイノベーションは、宮田裕章(2022)が提唱する「Better Co-Being(ともによりよくあること)」を基軸とする未来社会の共創と極めて近いものがある。それは、宮田(2022)の「一人ひとりの“生きる”を響き合わせ、それぞれの考える社会善を共通価値として尊重しながら社会をつくり上げ、多様な主体の共創によって生活者の価値群それぞれが実現できる社会を目指したい26」とする考えが、「共豊潤縁」の世界観と多くの点で共通するからである。その宮田(2022)は、価値共創社会の体現アプローチの1つに、医療・介護や教育など広井がいう「時間の消費」分野で厚労省が2017年に提案する「個人」のデータを軸にした“信頼が担保されたオープンなプラットフォームの構築”があるという27。まさにデジタル型CoIコモンズの具現であり、「共豊潤縁」基軸による生活の豊かさの実現を目指す試みであろう。

そのような類似性がありながらも、「共豊潤縁」は次の2点において「Better Co-Being」が体現する思想をさらに進めることができると考える。1つは、先にみた清水博(2006・2009)の理論的枠組みに基づき、「ともにより豊かである」未来につながるCoIの内面的必要要件も射程に入れることができることである。データが重要な役割を果たすことは宮田の言うとおりであるが、データを使う人間のマインドセットはそれ以上に重要であろう。2つ目は、広井(2001)の人類史的な視点を利用することで、人間の他者だけでなく、自然(地球)も共存在の対象に明確に含めることができることにある。データでは捉えきれない、人智を越える自然の営みを意識することは、気候変動時代におけるCoIを追求する上で有用な視座となるであろう。以下、この2点について説明する。

(2)  「共豊潤縁」の醸成・拡大・多様化のメカニズム

CoIコモンズのメンバー条件は、清水博(2009)が提唱する「共存在の相互承認28」の受け入れにある。この条件が満たされれば、CoIコモンズに必須の互いに相手の価値規範の影響を認め合う「場」が組成する。その後、コモンズメンバーによって、自らも含め多くの人々、そして自然にとって豊かさの素となる共有資源が創発される。むろん、この過程においては、創発を目指してステークホルダー間に、清水(2009)が説く各々の価値規範(シナリオ)を互いに調整し合う「誘導合致」が起き、それが「共豊潤縁」というつながりを醸成する。【図5】ではPhase①とPhase②の局面である。

図5 「共豊潤縁」の醸成・拡張・多様化のメカニズム

(出所)筆者作成。

創発された共有資源は、【図5】のPhase③にあるように、コモンズの協働主体による共有資源の交換価値化が実践され、生活の豊かさを物心両面で体現するとともに、「共豊潤縁」の拡大と多様化を実現する。

コモンズの共有資源(使用価値)の1つ「イノベの種」の交換価値(商品価値)化は、人が豊かに生きる未来社会に必要とするモノというコモンズの目的から必然的に欲求性志向を満たす。加えて、コモンズ式のCoI創発組織には必須の自律的・水平的共同運営の特性から「共豊潤縁」の拡大と多様化をもたらす。他方、「CoIコモンズ文化(CoICC)」は、斎藤幸平(2021)が指摘するコモンズが消滅29した現代社会においてはそれ自体が共有資源(使用価値)となる。その資源は、CoICC体得者によって「CoIコモンズ伝播プラットフォーム」へと社会価値化されることで「共豊潤縁」を拡大・多様化する。

以上のプロセスが、CoIコモンズ共有の資源(使用価値)の発見・創造と交換・社会価値化の過程での「共豊潤縁」の醸成・拡大・多様化メカニズムであるが、その際、交換・社会価値化実践メンバーによる「CoIコモンズへの継続的関与」という副次効果が生じる(【図4】参照)。共有資源(使用価値)の交換・社会価値化に関わった人たちが、CoIコモンズは次世代に引き継ぐべき貴重な共有地(コモンズ)と捉え、ステークホルダーの一人としてこの機能を次世代にパスすることは当然の責務と考えての行為である。むろんこの関与は、「共豊潤縁」の一層の拡大と多様化をもたらす。しかもこのプロセスは、基となるCoIコモンズ・エコシステムが正のスパイラル構造にあるため継続的なものとなる。これが【図5】のPhase④の概要である。

このようなCoIコモンズおよび共豊潤縁の形成は決して机上の空論ではない。たとえば、長野県伊那市の「50年の森林(もり)ビジョン」の例にみる自然と人間との共存共栄の仕組み作りにそれを見ることができる。

策定に中心的役割を果たした植木達人は、「50年の森林(もり)ビジョン」は、「ソーシャル・フォレストリー(social forestry)」の考えをベースに、伊那市独自の自立的地域内経済循環の構築を目指し、地域住民による森林の保全や管理(Phase②)、地元の諸産業との協働による森林資源の利活用(Phase③)、派生した便益の地域(住民)還元(Phase④)を地域社会総出で実践することを目指すものであり、それには住民目線が大切と考え、それに則った策定体制(Phase①)を採ったという30。この精神は、実践にも引き継がれ、市民自らがサポート団体(ex.伊那市ミドリナ委員会)を設立し展開している。

さらに、この事例には、「共豊潤縁」に関わる非常に重要な視座も持つ。それは、このビジョンが自然(地球)を資源やデータだけに還元していないことである。森林は市民にとって自然環境そのものだから、山地に森林があることは、市域の安全・安心を守ることであると捉え、林業は、経済価値創造だけでなく、公富の如く森林を守り、育てることも含むと明確にしたのである31。この考えは、まさに、自己・他者や人間・自然の分離をあえてしない共豊潤縁的CoIコモンズのあり方と合致するものであり、このビジョンが、Phase①から④のサイクルの確立によって、自己と他者や自然がともにより豊かになれるイノベーションを共創していく意図を見ることができる。

4.2  公富の持続的増大機能

(1)  生活の豊かさ革命における公富の役割

斎藤(2021)は、「資本主義は、公富(public wealth)を解体し、資源を意図的に希少にすることで私財(private riches)を拡大し、これを梃子に発展してきた32。」という。斎藤(2021)が指摘するこの資本主義の共有資源(公富)のエンクロージャー化は、コモンズという人々の物心両面のセーフティーネットを消失させた。その結果、物質面の生活は、決して少なくない人々が物理的生命の維持が困難な状況に直面し、精神面においても、佐伯(2009)の分析にあったように、経済成長至上主義が行き着いた自身が物質的欲望対象となったことによるナルシシズム化や、その過程で起きた他者や自然とのつながりの分断によって人は孤立し孤独感に苛まれるに至った。その深刻さは、厚労省・警察庁調査での自殺者数が、昭和53年度から令和4年度までの45年間、すべて20,000人以上という事実が物語る33

上記から言えることは、コモンズという公富の消滅が生活の貧困化を招いた一因にあるということだが、裏を返せば、コモンズ(公富)の再生によって、人々の生活は物心両面で真の豊かさを体現できるということでもある。つまり、CoIをコモンズ方式で展開すれば、①社会の共豊潤を具現化するイノベーションの創発に加え、②人々の物心両面のセーフティーネット機能と③「共豊潤縁」の醸成・拡大・多様化の機能を併せて創出できるということである。これこそが、CoIコモンズの革命性である。

このようにコモンズは、人々の物質的・精神的豊かさの実現に必要な公富という様々な共有資源や社会的装置を生み出す母体となる。これが、日本社会において多様な形態で組成・ネットワーク化されるならば、この豊かさは社会全体に広がることになる。さらに、このムーブメントが地球全体に波及するとき、斎藤(2021)が地球再生のために必要と説く「地球の〈コモン〉化」の道程34が現実化し、地球は、仏教の教えになぞらえるなら、人間はもとより“草木国土悉皆成豊潤”とでも呼べる状況が実現することになる。

(2)  CoIコモンズ・エコシステムの公富増殖機能

CoIコモンズ・エコシステムの特性の1つは、共豊潤性商品(共豊潤を体現する商品)を生産する企業の参画にある。

これまで企業の成長を牽引してきたのは物質的欲望を満たす商品(欲望性商品)であったが、前項でみたように、これが物心両面の貧困化の元凶と見なされるようになった現代社会では、企業の社会的存在の根拠に揺らぎが出てきた。企業は、如何なる設置形態であれ、人びとの幸せを実現する価値を社会に提供して初めて社会的存在が認められる。近年それは、社会課題の解決という社会価値の創出に比重が移りつつあり、マイケル・ポーターとマーク・クレーマーが2011年に提唱した「共通価値の創造(CSV; Creating Shared Value)」もその1つである。しかし、CSVと共豊潤性商品の生産には、公富体現に対する決定的違いがある。

ポーターたちは、本業を通して経済価値と社会価値を同時に追求して実現するのがCSVと定義する。つまり、企業の本業を「企業利益」と「社会利益」の2面で捉え、企業利益の基である経済価値と社会連携の成果(社会利益)である社会価値が両立したものを共通価値と位置付けたのである。なお、名和高司(2021)によれば、彼らは(1)次世代の製品・サービスの創造、(2)バリューチェーン全体の生産性の改善、(3)地域生態系の構築の3つのレバーによって共通価値は実現するとしている35。こうしたCSVの構造は、池田(2021)の定式化を参考に、企業の利益重視度をγ≥1、社会連携度をδ≥1、経済価値Evと社会価値Svを企業が設定するそれぞれの創造価値の基準値とする以下の式で可視化できる36

(2) CSV=γEv+δγSv

上記(2)式の右辺2項は、ポーターたちの「社会価値の創造はあくまで本業への貢献が前提」の思想を反映したものであり、企業が企業利益重視(γ>δ)の場合、実現社会価値は基準値を下回る水準になることを表す。この捉え方からすれば、CSVの社会価値は、あくまで企業が処分可能な資産、つまり私財ということになる。

これに対し、CoIコモンズ参画企業のCSVは、ポーターの経済価値、社会価値に加え、CoIコモンズの公富(PW; public wealth)と、そこから発見・創造される使用価値(use value)を源にする経済価値、社会価値が新たな構成要素となる。いま、体現した公富をPw、その体現における企業の貢献度(以下、公富体現貢献度)を0<εi<1(Σεi=1)、さらに、CoIコモンズが発見・創造した使用価値をUv、その使用価値(Uv)を源泉とする企業の経済価値創造係数をθi≥0、社会価値創造係数をωi≥0とすれば、公富考慮CSV(PW・CSV)は、以下の(3)式で表すことができる。

(3) PW·CSV=εiPw+γ+θiUvεiPwEv+δγ+ωiUvεiPwSvUv'>0

公富考慮CSVの特徴は、右辺2項の経済価値体現値と3項の社会価値体現値の構造が示すように、企業は、企業利益重視度(γ)の引き上げではなく公富体現貢献度(εi)を高めることによって、経済価値とポーター型では低下する社会価値の増加がともに発生しうる点にある。それは、次のようなメカニズムによって実現する。

まず、経済価値の増大は、体現した使用価値(Uv)が経済価値の創造に必要な技術、経営、感性のイノベーションを創発(θiUv)することによって実現する。具体的には、技術のそれは、コモンズで生み出される“共豊潤に関わる多種多様かつ大量の良質データ”から発見・創造される共有資源(使用価値)の1つ「イノベの種」を自社の技術・知見を活用して行う共豊潤性商品の生産、経営においては「共豊潤性商品」生産の従事による社員の労働意欲の向上37、感性はコモンズ活動で体現の「共豊潤縁」による参画社員の感性の変容である38。他方、公富の共有資源(使用価値)を起源にする企業の社会価値は、たとえば、CoIコモンズ文化体得社員が行う、自社の知見や技術を活かした地域の子どもや住民のセーフティーネットの創造など、その多くは地域社会へのコミットによるものと考えられる。こうした公富起源の社会価値は、その公共性の高さから、企業の社会的存在価値を相当に高めるものと思われる。

以上のことを企業が理解できれば、企業は、イノベーションの創発をエンクロージャーから共有資源(使用価値)の共創へと転換することは十分に考えられる。ただ、そこには、懸念点も存在する。コモンズは協働主体による運営が基本という点である。企業にとって、協働主体のように裁量性が低く、直接的には経済価値や社会価値を増やさない公富体現への参画は、本来的にハードルが高い。ただそれも、企業が以下に示す事例の本質を理解すれば、低下する可能性は極めて高い。

事例は、横浜市都筑区の東山田準工業地域に所在するオーダーメイドでヒーター製作を営む株式会社スリーハイ(以下、(株)TH)が、2013年から展開する地域活動である。近年、このエリアは、廃業の工場跡地の宅地転用によって急速に「住宅街にある町工場」化してきた。それは、製造業にとって厳しい操業環境になったことを意味する。これに危機感を持った(株)TH2代目社長の男澤誠は、事業存続には“地域住民と顔の見える関係”が欠かせないと考え、2013年「地域をつなぐ」を目標に、近隣小学校の生徒を対象にした「こどもまち探検」を開始した。

いまも続くこの取組は、参加工場や小学校関係者による「探検プログラム」の作成や地元福祉法人と連携した“学校への行きづらさを抱える生徒支援”版の実施など多様化し、参加子ども数は述べ1,853名、当初1社の参加工場も20社にまで成長した。その成功は、ここに集う人たちが、公富体現の必須条件である「共に存在を認め合う」を大事にしてきたことが大きいと男澤は語る。それが、地域住民や関係者の「互いがつながっている」との実感となり、活動に我々が提唱する「共豊潤縁」が生まれ、取組の成長につながったと男澤もみる。さらに、この成果は、2017年に「地域の挑戦を応援する」新たな目標を活動にもたらし、同年にその拠点を兼ねた工場カフェ「DEN」をオープン、ここを拠点に地域住民の新たな挑戦が始まっている。(株)THの地域活動は、「共豊潤縁」が基盤の公富へと昇華したのである。

こうして体現した公富は、(株)THの本業に想定外の効果をもたらした。地域住民が(株)THを「働き場」として選択し始め、それが社員の働きがいを高め、売上増とパートを含む従業員数の大幅増加(2010年13名が2023年には42名)に繋がった。まさに、公富体現の経済価値創造効果である。

上記の事例は、企業の“地域社会との信頼関係作り”を起点とする39。これは、実践の意義を理解する企業には、ハードルとはならない。それどころか、社会的に当たり前の行動が、事業の継続、社会的存在価値向上に欠かせない取組に、そして、その実感を通じて、企業は主体的にCoIコモンズの協働主体となるのである。この文脈が、(3)式の意味するところのCoIコモンズ・エコシステムにおける公富増殖メカニズムである。

5.  おわりに

最後に、本稿の成果と課題について整理する。まず、経済成長の生活の豊かさ実現パラダイムの基軸機能はすでに不適合状態にあり、上記事例にみる「共豊潤縁」が新基軸と特定したことが成果の1点目。このように共豊潤縁を軸にCoIを捉え直すことは、自他分離、経済成長、物質性に基盤を置いている日本国内外の先行研究に対して、新しい視点を提供することを可能にした。ついで、CoIコモンズ・エコシステムは、「共豊潤縁」の醸成・拡大・多様化を体現する有効なシステムであり、企業は、CoIコモンズへの参画によって、理論的には、企業利益重視の経営では得られない、技術、経営、感性の3成分のイノベーション創発を体現し、かつ創発手段をエンクロージャーから共有資源(使用価値)の共創へ転換しうることを明らかにしたことが第2の成果である。

この理論的成果の有意性は、伊那市の『50年の森林(もり)ビジョン』や(株)THの事例から一定程度確認された。「50年の森林(もり)ビジョン」は、「ソーシャル・フォレストリー(social forestry)」の考えをベースに、伊那市独自の自立的地域内経済循環の構築を目指すと同時に、自然(地球)を資源やデータだけに還元せず、森林は市域の安全・安心を守るものと捉え、公富の如く森林を守り、育てることも林業の役割とするビジョンと実施計画を策定した。それは、【図5】の「共豊潤縁」の醸成・拡大・多様化メカニズムを充足し、自己・他者や人間・自然の分離をあえてしない共豊潤縁的CoIコモンズのあり方と合致するものであった。他方、(株)THの事例からは、企業の“地域社会との信頼関係作り”という社会的に当たり前の行動が、事業の継続、社会的存在価値向上に欠かせない取組となり、さらに、その実感を通じて、企業が主体的にCoIコモンズの協働主体となることを確認できた。

とはいえ、本論の成果は、あくまでも理論的仮説にある。真の有意性は、CoIコモンズ・エコシステムを意図的に社会実装しアクションリサーチ等で確認するか、近似する既存の仕組みの参与観察などによって検証する必要がある。この課題のうち参与観察ケースは、(株)THと「CoIコモンズ創生研究プロジェクト」を立ち上げすでに対応済みである。ただ、CoIを志向する企業、自治体、大学などの組織が増えつつあるいま、アクションリサーチによる検証が重要性を増すことは間違いない。その検証環境を如何に確保するか、それが今後の課題である。

1  佐伯啓思(2009)pp.70–74参照。

2  佐伯啓思(2009)pp.150–156より必要箇所を引用。

3  佐伯啓思(2009)pp.75–83参照。

4  広井良典(2001)pp.116–118参照。なお、広井(2001)は、「欲求(私利)」を欲望の意味で使用している。この捉え方は、欲求は状況如何で利他にも利己にもなることを意味する。

5  佐伯啓思(2009)p.158参照。

6  水野和夫(2016)pp.47–56, pp.159–162参照。

7  佐伯(2009)の欲望は、手に入れたいモノとの距離が欲望を生むというジンメルの欲望観によっている。この観点から、自身が欲望の対象になると、「本当の自分などない」からその距離を測る起点が存在しなくなるため、モノの消費が好奇心で行われると主張するが、なぜ好奇心がモノの消費の動機になるかは説明していない。それを我々は次のように考えた。ジンメルの欲望観に従えば、他者が欲望対象であるまでは、その距離を認識することができる。だが、自分が欲望の対象になると、確たる自己像がなければ、その像の体現に必要なモノそれ自体が明確にできず距離が測れない。つまり、欲望が定まらない。加えて、このとき人は、ナルシシズムにあると佐伯(2009)は考える。この状態で人がモノを消費する基準は、その時々の他者の反応によって自身が描く自己像との距離となる。むろん、他者評価が変われば像も変わる。自己像なのに自身には未知だから、距離の起点の自己像は好奇の対象となり、人は好奇心でもってモノを消費することになる。佐伯啓思(2009)pp.86–88参照。

8  広井良典(2001)pp.127–143参照。

9  広井良典(2001)pp.150–156参照。なお、広井(2001)は、「根源的な時間の発見」の具体例として、地域その他において介護・福祉や自然保護などの活動に関して、個人が自発的に参加しネットワークをつくり、互いに支え合ったり喜びを共有し合ったりするような、様々なボランタリー活動をあげる。

10  広井(2001)は、市場経済の成立(17世紀~18世紀)によって「共同体からの個人の独立」が起こり、産業化・工業化(18世紀末~)は「自然からの人間の独立」をもたらしたという。広井良典(2001)pp.116–130参照。

11  井上達夫(2016)は、「自律的な価値形成力の貧困は日本社会が同質社会の神話に支配されてきたことと不可分であり、この神話の支配による他との異なりを恐れぬ自律性の陶冶を阻むことによって、異質な価値観を抱く他者との相互啓発の関係を結ぶ能力の陶冶も阻んでしまう」と捉える。

12  井上達夫(2016)p.xiiより引用。

13  井上達夫(2016)pp.vii–xiii参照。

14  河合隼雄/河合俊雄(編)(2022)p.149参照。なお、この発見は、河合(2022)が日本で最初にユング心理学による心理カウンセリングの臨床を通して、日本人にはユング理論では対応できない性質の存在に気づいたことによる。

15  西洋と東洋の個性の形成の違いについて河合隼雄(2022)は、個人主義による個人性は、その個人が自ら欲するところに従って個人性を伸ばしてゆけるが、自分自身のまったく思いがけない方向に発展してゆく可能性は小さく、自我の判断によって相当限定されるのに対し、仏教的な日本人の個別性は、形成するというより「発見する」に近く、他者や自然と関わる中で自分でも気づかないうちに、自分の中の「無力」的要素が動き出し、独自性の自然(じねん)発生を「驚きつつ味わう」ものだという。詳しくは、河合隼雄/河合俊雄(編)(2022)pp.150–154参照。

17  清水博(2006)pp.55–80及び清水博(2009)pp.29–82参照。

18  清水博(2006)pp.55–120及び清水博(2009)pp.50–55参照。清水は、場の論理を即興劇になぞらえ説明する。役者Aは、自己のシナリオ(自己中心的自己)を元に、役者Bのシナリオや観客のシナリオまでを予測し、それぞれが誘導合致するように自身の振舞を決め(場所中心的自己)、新たなシナリオが生まれなくなった時点で誘導合致は終了となる。

19  井上達夫(2016)pp.64–65参照。

20  辻竜平/友和政樹(訳)(2006)pp.7–8参照。

21  西口敏宏(2009)p.106参照。

22  山岸俊男(2011)pp.38–40参照。

23  池田啓実(2021)pp.8–10参照。なお、習合は、一般には、文化接触によって生じる2つ以上の異質な文化的要素の混在、共存のことと言われるが、ここでは、内田樹(2020)が提唱する「異物との共生」と捉えている。

24  北原貞輔・伊藤重行(1991)p.31より引用。

26  宮田裕章(2022)p.151より引用。

27  厚生労働省が提案の構想は「PeOPLe(Person-centered Open Platform for wellbeing)」というプラットフォームで、宮田(2022)によれば、さまざまなステークホルダーが公正に、オープンにデータを共有して活用する中で、ともに新しい価値をつくり出そうとする思想の下に生まれたプラットフォーム。宮田裕章(2022)pp.154–156参照。

28  清水博(2009)によれば、「共存在の原理」の出発点は「多様な人々がそれぞれの存在の立脚点―ここは譲れないという思索のアンカー・ポイント―を互いに示し合い、それが独善的なものでなければ、その差異を互いに共有する精神」にあると言う。ただし、このような状況下では、自分の立脚点をはっきり示せない者も独善者と同様にみなされる。自己の存在をはっきり表さなければ、“人に信頼されず”、コミュニティのメンバーに入ることができないからである。詳しくは、清水博(2009)p.22参照。

29  一般に、コモンズは共有資源を共同管理する仕組みあるいは共有資源そのものを示すが、斎藤幸平(2021)は「資本が資源をエンクロージャーすることで商品の希少化を図る資本主義の生産構造は、1980年代以降、新自由主義は、社会のあらゆる関係を商品化し、相互扶助の関係性を商品関係に置き換えてきた結果、その置き換えが、人間の基礎的生存を下支えしてきたコモンズ機能を消滅した」社会だと論じる。カギ括弧部分は斎藤幸平(2021)p.282より引用。

30  伊那市(2016)『伊那市50年の森林(もり)ビジョン』の伊那市50年の森林ビジョン策定委員会委員長挨拶文より引用。

31  伊那市(2016)『伊那市50年の森林(もり)ビジョン概要版』のp.2参照。

32  斎藤幸平(2021)pp.234–249参照。

33  厚生労働省自殺対策推進室・警察庁生活安全局生活安全企画課(2023)『令和4年中における自殺の状況』p.2の資料データ参照。

34  斎藤幸平(2021)pp.140–147参照。

35  名和高司(2021)pp.15–17参照。なお、名和(2021)によれば、地域生態系とは、「事業を行う地域で、人材やサプライヤーを育成したり、インフラを整備したり、自然資源や市場の透明性を強化することなどを通して、地域に貢献するとともに強固な競争基盤を築く」ことをいう。名和高司(2021)p.16より引用。

36  池田啓実(2021)p.1の(1)式を引用。なお、名和(2021)によれば、M.・ポーターは、共通価値=経済価値×社会価値という2つの価値の乗算で捉えるが、共通価値は本来的には2つの価値のプラスサムであるべきとの考えから、名和(2021)は、このトレードオフ(ゼロサム)の関係に疑問を呈する(名和(2021)p.6参照)。池田(2021)は、この指摘を踏まえ、CSVの定式化にあたって共通価値は2つの価値の加法とした。本稿では、その考えを踏襲したことに加え、2つの価値は企業の裁量性が高いと考え、両価値の値は企業が期首に設定する基準値とした。

37  パラダイム破壊型イノベーションを重視する山口栄一(2008)は、「社員のモチベーション向上の源泉が「実存的な欲求」に移行している状況にあるいま、雇用者対策として企業が、従来の労務管理型から「個人が組織とは異なる目標を追求することをあえて容認し、彼が社会の中で活躍することで間接的に会社に貢献」してもらう社員支援型へ切り替えるなども経営の破壊型イノベーションだとする。山口栄一(2008)pp.268–270参照。

38  感性の変容については、社会人メンターが組織を越えたデベロップメンタル・ネットワーク(DN; Developmental Network)における振り返りや学びを所属組織に還元する動きを明らかにした谷口・石山(2022)の研究成果がある。彼らは、組織を越えた低密度・広範囲のDNにおけるメンタリング・プロセスを通じて、社会人メンターが「職場の対人対応の振り返り」と「気づきの職場実践」を行うが、それが、参画動機の1つの「所属組織に対する閉塞感」をメンタリングを通じた気づきと行動で打開する動きであることを見出した。谷口ちさ・石山恒貴(2022)pp.87–88参照。

39  今回の(株)THの事例は、企業の所在地が舞台だが、筆者の一人・池田(2021)が明らかにした、過疎地住民主導のオープン組織、当組織を舞台に大学等が主宰の住民と企業の人的交流支援策、協働主体企業の3つが揃い、かつ全員が共存在の相互承認受容であれば、公富に近似の利他的社会価値創造空間が生じ、過疎地と企業間に縁起(相互補完関係)が生成することを踏まえれば、この場合、企業の所在地は公富考慮CSV生成の絶対条件ではなく、大手企業も対応可能な取組ということになる。詳細は、池田啓実(2021)pp.9–11参照。

参考文献
 
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