本論では、ある現象を宗教だと判断する際の基準はどのような要素になりうるのか、という問題について考察する。従来、宗教の判断基準は現象的なものになるという前提がゆるぎないものであったために、ある現象を宗教だと判断する際の基準がどのような要素になりうるのか、という問題は問う必要もなかったものである。しかし近年では、宗教がある本質的な現象を指しているわけではないという見方が強まりつつある。宗教概念にかかわる研究者の間では、特定の現象にこだわること自体が忌避されるべきだと考えられている。本論では、宗教現象の世俗化と、世俗的な現象の宗教化という問題を通して、宗教の判断基準を考察する。その結果わかったことは、どちらの場合においても結局のところ、ある現象が宗教だと判断されるためには、宗教的概念を成立させている特殊な認識の形式が観察者によって発見されなければならないということである。今回は宗教の判断基準は何かという問題を扱わなかったが、本論では、その問題を扱うための基礎ができたように思う。