米国人宗教学者W・P・ウッダードについては、その主著The Allied Occupation of Japan 1945-1952 and Japanese Religionsへの注目もあり、日本占領期および講和後に関する業績にほぼ関心が集中してきた。
一方で本稿は、彼が、神道指令の標的「国体カルト」が両大戦間期後半に出現した、と論じていることに注目する。そして主著の草稿の一部である、阿部美哉訳の日本語論考に含まれる、知日派外交官への共感、国体カルト出現に介在したという極端論者の例、そのカルトの告発者に当たる人々の動向、などを検討する。
その結果、ウッダードが自らの滞日経験に即し、天皇・神道と軍国主義の間の楔として導きだしたのが、国体カルトの禁止という文脈であったと理解される。一方でその成立は、総力戦体制による社会変化の時期にも対応する。向後さらなる資料調査により、この見方を補強しつつ、その意味するところを考察していきたい。
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