ブルーメンベルクの仕事の核心として、独自の現象学的人間学があるということは近年とくに注目されている。とはいえ彼の思想をすべて人間学へと還元しようとするのはその特異な歴史記述の意義を看過してしまうことにつながる。そこで本論文では後期の宗教論である『マタイ受難曲』(一九八八年)を取り上げ、その中心となる「受容」という事柄に着目する。受容という現象を成立させるのは原体験からの距離化である。そこで生成する空白の「わからなさ」こそ、その埋め合わせへと駆り立てるものである。ブルーメンベルクが問題とするのはそこで成立するような宗教経験なのである。本論文はさらにこの問題が、彼の「隠喩学」によって取り組まれてきた課題であることを明らかにする。そこから、起源/受容の位階関係を逆転させ、変容において成立する宗教的根源性へと思考を開くその試みを、ブルーメンベルク独自の宗教哲学として定式化する。