2011 年 24 巻 2 号 p. 2_85-2_99
本論の目的は,祭の参加者が象徴体験を共有する,その現象の構造を明らかにすることである。祭の参加者は,祭の象徴世界の観念的な意味を共有するのではなく,述語論理によって間身体的に構成される運動感覚を共有する。祭の参加者は,主語論理によって構成される外部の視点によって主客を区別し,運動感覚の中で主客の一体性を体験する。主語と述語の論理は有と無の立場に対応する。祭の象徴体験における有と無の弁証法は,主語と述語,外と内の弁証法でもある。心理療法の象徴体験もまた同様の構造を持っている。クライエントは,主語論理に基づく外部として機能するセラピストに見守られ,述語的な運動感覚に入り込む。セラピストは,クライエントの象徴体験を単に観察するのではなく,クライエントが体験している有と無(外と内)の弁証法を象徴的に共有しなければならない。