産業衛生学雑誌
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事例
校正印刷事業場における作業環境改善状況について
金原 清之圓藤 吟史
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2014 年 56 巻 1 号 p. 16-20

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はじめに

2012年5月に,大阪市内の校正印刷会社で複数従業員に胆管がんが集中して発症していることが報告された1)ことを端緒として,印刷業において有機溶剤を用いて洗浄作業を行う労働者の健康被害の問題が大きくクローズアップされた2)

この事案は,厚生労働省においても重大なものと受け止め,全国の洗浄作業を行う印刷業に対する現地一斉点検を実施し,その結果,有機溶剤中毒予防規則(有機則)の違反等の多くの問題点が浮かび上がった3,4,5)

当該事業場での事例を含め,校正印刷作業者に多発した胆管がんの発症には,1,2-ジクロロプロパン,ジクロロメタンなどの有機塩素系溶剤が疑われているもの6)の,当該事業場における発生の詳細やこれまでの作業状況等については調査中であり,業務と発症との因果関係については不明な事柄もあり,全貌の早期解明が待たれる状況にある.

とはいうものの,今後同種の事案を発生させないためには,業務と発症の因果関係の解明を待つまでもなく,速やかに現在存在する種々の問題点を改善することが重要である.中でも作業環境の改善は重要であるが,その方法を模索している事業場も多く,改善が遅れている面があると思われる.

問題の発端となった事業場は,この問題が発生した後,作業環境等の改善を実施しているが,改善にあたって筆者らも多少のかかわりを持った.上記のような趣旨から,ここでは当該事業場における作業環境改善の概況についてのみ報告することとする.印刷業における有機溶剤発散源対策について悩んでいる事業場も多いと思われるが,本報が参考になれば幸いである.

1.事業場の概要

当該事業場は,大阪市内に本社を持つ校正印刷会社の本社工場で,現在の概要は次のとおりである.

従業員数は60名,うち校正印刷従事者数は21名である.建物は,地上6階地下1階,うち地下1階から地上4階までが事業場として使用している.校正印刷作業場は,地下1階で間口は7.7 m,奥行きは21.1 m,天井の高さは2 mで,5台の校正印刷機,既設ダクト,柱の出っ張りを除くと有効気積は,387 m3となる.労働安全衛生総合研究所(安衛研)7)では室内容量は370 m3としており,ほぼ一致している.

2.校正印刷作業の概要

校正印刷機の外観はFig. 1のとおり.

Fig. 1.

 An offset printing machine.

校正印刷作業は次の手順で行われる7)

①ローラーにインキを塗り,ローラーから版にインキを付着させる.

②インキの付着した版からブランケットに転写する.

③ブランケットから紙等の印刷媒体に印刷する.

④次の版をブランケットに転写するためにブランケットを洗浄する.

⑤ 次の版をブランケットに転写する.

⑥ ブランケットから紙等に印刷する.

⑦ 色を変えるときは,ローラーも洗浄する.

作業者の能力によって時間の長短はあるが,以前は1版の印刷に15–20分を要し,1時間に3–4回の洗浄作業を行っていた.現在は品質追求のため作業効率が悪くなり1版あたり25分程の作業時間を要しており,1時間に約2回の洗浄作業になっている.

3.洗浄作業に使用する溶剤

現在,塩素系有機溶剤ならびに有機則の適用のある溶剤は使用していない.現在,ブランケットの洗浄の際は,①シクロへキサン50–60%,プロピレングリコールモノメチルエーテル20–30%,エタノール10–20%,残り炭化水素10%のものを使っている.ローラー洗浄の際は,② キシレン1.3重量%含有の灯油,③ グリコールエーテル系85–95%,へキシレングリコール0–10%のもの,④ 灯油35–45%,鉱油1–10%,活性剤1–10%,水45–75%のもの,を油性インキ,UVインキの場合に使い分けている.

4.作業環境改善の状況

1)作業環境改善前の換気設備の概況

2012年7月現在における地下作業場の換気設備は,床面の4ヶ所と床上の1ヶ所から吸引排気する非循環系の排気設備と,作業室の片側壁上方に横列に配置された吹出し口から空調空気が吹出され,反対側に設置された吸い込み口から吸引される全体循環系の設備があった.

安衛研7)によれば,UV排気系を作動させたときのネット換気量は約2,900 m3/時余であり,これを室内容積で除した見かけの換気回数は7.8回/時である.

改善前に事業場が作業環境測定機関に依頼して実施したシクロへキサン及びプロピレングリコールモノメチルエーテル混合溶剤蒸気についての作業環境測定結果は,Table 1に示す通りである.シクロへキサン及びプロピレングリコールモノメチルエーテルはいずれも管理濃度は設定されていないが,ACGIHのTWAは,いずれも100 ppmであることから,これらの値を管理濃度相当とみなすと,測定結果から評価したこの作業場の管理区分は,第2管理区分であった.

Table 1.  The result of working environment measurement before improvement
Measuring point Cyclohexane (E1=100) Propylene glycol mono methyl ether (E2=100) ΣCi/Ei
C1 (ppm) C2 (pm)
A-measurement: The measurement is performed to estimate the average concentration of the workplace
1 21 2 0.23
2 27 3 0.30
3 120 15 1.35
4 85 12 0.97
5 77 10 0.87
6 44 5 0.49
Geometric mean 0.58
Geometric standard deviation 2.63
B-measurement: The measurement in the place considered that the exposure of the worker is biggest
1 87 14 1.01
2 25 3 0.28

Administrative classification 2: Improvement of the work environment is considered.

ちなみに,この作業場について安衛研が1,2-ジクロロプロパンとジクロロメタンを用いて行った曝露再現実験の結果7)は,還流率は56%,換気回数は3.8回/時と算定されている.

2)作業環境改善の検討

現在,当該事業場においては有機則で規定する有機溶剤は使用しておらず,発散源の密閉設備,局所排気装置またはプッシュプル型換気装置の設置の義務は課せられていない.しかし,報道で換気装置の能力不足が記載されて社員の不安が膨らんだことと,行政当局の指導もあって設備の改善を行うこととなった.

しかし,改善の具体的方法について行政機関等に問い合わせるも,的確な回答が得られないまま,大阪産業保健推進センターを紹介され,2012年7月4日に,相談員のもとを訪れることになった.

相談員は作業場における換気,発散源,作業態様等の状況からみて,密閉設備や局所排気装置の設置は極めて困難と判断し,Fig. 2のような開放式プッシュプル型換気装置の設置を提案し,これら設備の設置に実績のある2社を紹介した.

Fig. 2.

 A push-pull open type ventilation system.

事業場は,そのうちプッシュプル型換気装置専門の設計施工会社を選び,改善の見積もりを依頼した.施工会社からはFig. 3に示すように洗浄作業者の頭上に下降流方式の一様吹出し装置を設置し,既設の床吸込み口を改善して吸込む方式とする案が提案されたので,事業場は施工会社とともに再び産業保健推進センターを訪ねた.意見交換の結果,設置業者の推すFig. 3の方式による設備の設置を採用することに決定した.

Fig. 3.

 Setting a blowing unit providing uniform air flow.

3)改善設備の内容

施工業者から事業者に提出された設備改善計画の概要は次の通りである.

①従来の循環式空調システムを取り止め,オール外気を取り入れ,オール排気のシステムとする.

外気取り入れ量は100 m3/min,排気量は150 m3/ minで設計する.

②作業者が洗浄作業を行うとき,作業者の呼吸域が有機溶剤蒸気に曝露されないよう,作業エリアに空気の一様吹出しユニット5基を設置する.

一様流吹出しユニットは,校正作業場の5台の校正印刷機それぞれに洗浄を行うロールの上方に設けたもので,吹出し面1,000 mm×500 mm,吹出し面風速0.5 m/s(風量15 m3/min)である(Fig. 3参照).

③上記②のほかに,校正作業場内の全体換気用として,吹出し面250 mm×250 mm,吹出し風速1.5 m/s(風量5 m3/min)の新鮮空気吹き出し口を,一様吹出しユニットの気流に影響を与えないように作業場の壁付近に分散して5基設置する.

④印刷機械の下床面にある既設吸込みダクトを利用して,吸込み面400 mm×600 mm,周囲350 mm,吸込み面風速0.5 m/s(風量18 m3/min)を5基設置.

⑤上記④のほかに,作業室内用吸い込みグリルとして,吸込み面350 mm×350 mm,吸込み面風速1.5 m/s(風量11 m3/min)を3基設置.

⑥機械室に加湿器を新規に設置し,また,天井埋め込みタイプの空調機を設置し,これらにより温室度をコントロールする.

4)改善後の状況

改善状況をFig. 4およびFig. 5に示す.

Fig. 4.

 A blowing unit providing uniform air flow.

Fig. 5.

 A suction port on the floor.

Figure 4は,新設された一様吹出しユニットの写真である.

Figure 5は,床吸込み口の改善前後の写真である.

これらの結果,作業環境は,次のように改善された.

(1) 外気100%の導入により,汚染空気は循環されなくなった.

改善後の2013年2月に施工会社が実施した換気設備稼働状況調査結果によれば,

① 排気ファンの排出風量は124 m3/min(このうち洗い場の局排フード風量23 m3/min,地下作業場の排風量101 m3/min)であった(Fig. 6).

②機械室吸込みグリルからの外気吸込み量は99.8 m3/ minであった.

Fig. 6.

 A hood of local exhaust ventilation system in the washing space.

以上から,地下作業室の給・排気はバランスよく順調に作動していることが確認できた.

(2)換気回数が大幅に増加した.

新鮮空気の換気量100 m3/minが確保されたことから,換気回数は15.5回/時と大幅に改善された.

(3)作業者に新鮮空気が直接給気されるようになった.

一様吹出しユニットから吹出される新鮮空気は,Fig. 7に示すように,緩やかに真下に降下し,作業者の呼吸域を包み込んだ後,ローラー位置付近で水平に分かれ,床下から排出されることを確認した.

Fig. 7.

 Flow of blowing air.

(4)作業環境測定結果に基づく環境レベルが改善された.

改善後に実施した作業環境測定結果,Table 2のとおりであり,その結果に基づく環境評価結果は第1管理区分に改善された.

Table 2.  The result of working environment measurement after improvement
Measuring point Cyclohexane (E1=100) Propylene glycol mono methyl ether (E2=100) ΣCi/Ei
C1 (ppm) C2 (ppm)
A-measurement: The measurement is performed to estimate the average concentration of the workplace.
1 21 3 0.24
2 28 5 0.33
3 8 2 0.10
4 17 2 0.19
5 5 1 0.06
6 11 1 0.12
Geometric mean 0.15
Geometric standard deviation 2.49
B-measurement: The measurement in the place considered that the exposure of the worker is biggest
1 14 1 0.15
2 36 3 0.39

Administrative classification 1: The state is judged to be appropriate.

5.今後の留意点

改善された作業環境を維持するためには,今後次の点に留意することが重要である.

① 作業中はもちろん,作業の前後もしばらく換気装置を稼働すること.

② 換気装置は定期的に点検・検査を行うこと.

③ 定期的に作業環境測定を行い,環境状態を確認すること.

④ 作業者に換気装置の正しい使い方等について教育すること.

おわりに

校正印刷作業場における作業環境改善事例を報告したが,類似の作業を行っている事業場における環境改善に参考となれば幸いである.

今回問題となった事案のように,大きな労働衛生上の問題が存在しているにもかかわらず,表面化せずに見過ごされている例がこの他にもないとは言い切れない.

作業環境上の問題が判明した場合には,ただちに環境改善を実施しなければならないが,適切な指導ができる体制が確立していることが重要である.

局所排気装置やプッシュプル型換気装置の理論は広く周知されているが,現場では所要の性能を有しないものが多くみられる.今後この方面における対策の一層の充実を切に望んでやまない.

References
  • 1)  熊谷信二,車谷典男.オフセット校正印刷労働者に多発している肝内・肝外胆管癌.産衛誌 2012; 54(臨時増刊号): 297.
  • 2)  熊谷信二,車谷典男,市原 学.オフセット校正印刷労働者における肝内・肝外胆管癌の多発.日本医事新報 2012; 4618: 48–9.
  • 3)  厚生労働省労働基準局安全衛生部計画課.胆管がんに関する一斉点検結果のとりまとめ等について.報道発表 2012.7.
  • 4)  厚生労働省労働基準局安全衛生部長.印刷業等の洗浄作業における有機塩素系洗浄剤のばく露低減化のための予防的取組について.2012: 7; 基安発 0723第1号.
  • 5)  搆 健一.印刷事業場で発症した胆管がんの原因究明の状況.産業保健21 2012; 70: 1–4.
  • 6)   Kumagai S , Kurumatani N, Arimoto A, Ichihara G. Cholangiocarcinoma among offset colour proof-printing workers exposed to 1,2-dichloropropane and/or dichloromethane. Occup Environ Med 2013; 70: 508–10.
  • 7)  独立行政法人労働安全衛生総合研究所.大阪府の印刷工場における疾病災害.災害調査報告書 2012.8; A-2012-02.
 
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