産業衛生学雑誌
Online ISSN : 1349-533X
Print ISSN : 1341-0725
ISSN-L : 1341-0725
調査報告
中華人民共和国の安全衛生に関するリスクマネジメントの制度と実態
伊藤 直人 平岡 晃梶木 繁之小林 祐一上原 正道中西 成元森 晃爾
著者情報
ジャーナル フリー HTML

2020 年 62 巻 2 号 p. 72-82

詳細
抄録

目的:中国の安全衛生に関するリスクマネジメントの制度と実態を明らかにする.方法:学術情報の検索エンジンを用いた文献検索と,インターネットによる一般情報検索を行った.その後,現地の公衆衛生大学院,健康診断や作業環境測定などを実施している職業衛生技術サービス機関,日系企業の現地事業場を訪問し,得られた情報を,法体系,専門人材,作業環境測定,健康診断,職業病,職業衛生技術サービス機関ごとに整理した.結果:安全生産法や職業病予防治療法などにより,安全衛生に関する事項が定められていた.安全管理者や衛生管理者の制度は存在していたが,産業医や産業保健看護職の制度はなく,企業に医療職の選任義務はない.一般健康診断は法令で定められていないが,特殊健康診断や作業環境測定は,企業外の職業衛生技術サービス機関での実施と判定が事業者に義務付けられていた.職業病は増加傾向であり,その約80%がじん肺であった.職業衛生技術サービス機関は,専門スタッフを雇用し,政府からの認定がなければ,健康診断等のサービス提供ができなかった.考察・結論:衛生や健康の専門知識について,企業内部と外部機関との格差が大きいことが特徴であり,企業の安全衛生活動が形骸化しやすいなどの問題が発生しやすい.そのため,事業場における公衆衛生医師の活用や,中国の安全衛生に関するリスクマネジメント制度を理解した日本の専門家による支援が重要である.

目的

海外に進出している日系企業の総数(拠点数)は75,331拠点と,前年より3,711拠点(約5.2%)の増加となり,過去最多を更新している1.日系企業がグローバルに事業展開する際には,現地での社会的責任を果たすためにも,日本人のみならず現地労働者の安全や健康の確保が重要となる.その際,現地の安全衛生に関する情報が必要となるが,著者らはそのような情報を効率的に収集することを目的に開発した「海外事業場の労働安全衛生体制構築のための情報収集チェックシート」2を用いてインドネシア共和国3とタイ王国4における調査結果を報告した.

日系企業の海外拠点の中で,中華人民共和国(以下,中国)は32,349拠点と全体の約43%を占め,第2位の米国8,606拠点(約11%)の約3.8倍1と,最大の進出先となっている.また,中国は急速な工業化に伴い,職業病の発生可能性が世界で最も高い国との報告があり5,中国に製造拠点を持つ日系企業にとって,現地の安全衛生は優先度の高い問題である.

中国の安全衛生に関する最近の情報として,安全衛生に関連する法令と制度6,7,2016年から2020年の5年間計画5,中国版労働安全衛生マネジメントシステムといえる安全生産標準化8が報告されている.しかし,日系企業の本社が現地の事業場を支援するための具体的な情報は,言語の問題もあり入手は容易でない.

また,安全衛生関係法令の改正の度に,事業者等に対する規制や罰則は強化され,法令違反した事業者に対して,罰金だけでなく,当該作業の中止や事業場の閉鎖も法律で定められた.2018年9月には,日系企業の最多海外拠点数である上海(10,043拠点)1を有する江蘇省から,安全生産リスクの高い企業や環境基準未達などの企業に対して,今後3年間で1,000社を閉鎖する目標を定めたと公表があった9.最新の安全衛生関連情報を収集し,現地の実態に応じて適切にリスクを低減することは,安全衛生の問題だけに留まらず,中国における事業継続の観点から経営上の大きな課題でもある.

今回,中国の安全衛生に関する情報を収集する過程で,安全衛生のリスクマネジメントについて情報が得られた.中国に製造拠点をもつ多くの日系企業においても有益な情報と考えられるため,その内容について,調査を行うこととした.

方法

1. インターネット調査

ILOや中央労働災害防止協会のHP等のインターネット上の一般情報に加えて,学術情報の検索エンジン(医中誌,Pubmed,Google Scholar)を用いた検索(検索式の例:“安全衛生”AND“中国”,(“Occupational safety and health” AND “China”)を行い,安全衛生のリスクマネジメントに関する情報を収集した.

2. 訪問調査

インターネット調査で得られた情報の確認と詳細情報を収集するため,また安全衛生に関するリスクマネジメントの実態を確認するため,現地の安全衛生に関する専門機関と日系企業の現地事業場を対象とした.調査チームのネットワークを用いて訪問依頼を行い,協力の得られた機関に対して,2016年11月から2018年11月にそれぞれ1~2回訪問した.調査はインタビュー形式で実施し,活動内容などに応じて調査日数は,専門機関半日~1日,日系企業の現地事業場2日~4日とした.

1) 専門機関

事前のインターネット調査で,特殊健康診断と作業環境測定は,企業外の政府認定機関でのみ実施できることが明らかになったため,これらの実施機関と,そこで働く専門人材を育成する教育・研究機関を訪問した.

① 公衆衛生大学院

2016年11月の訪問当時,35名の教授を中心に136名の教員と1,117名の学生を擁する中国の代表的な公衆衛生大学院である.環境保健科学,社会医学・衛生管理,疫学・生物統計,公衆衛生の4分野の中に15の小分野が分けられている.卒業生の多くは政府機関に就職するが,一部は外資系企業などで産業医として活動している.

② 職業病臨床研修センター

大学付属機関であり,中毒科,じん肺科,放射線科,職業健診科の4科をもつ.特殊健康診断の実施数は,年間約25万人と上海全体の約4割に相当し,職業病の診断数は上海の約80%を占めている.また,職業病に関する診断基準や診察ガイドラインを策定するための研究,若手医師に対する職業病の診療トレーニング等の教育を行っている.

③ 労働安全衛生研究所 職業病予防協会

健康診断で採取した血液尿検査や作業環境測定を実施している機関である.分析・測定などの国際的な第三者認定であるISO/IEC17025を取得している.

2) 日系の製造業の中国拠点

ブルドーザー,油圧ショベル,ダンプトラックなどの建設機械・鉱山用機械の開発・設計を行っており,日本本社が発信した安全衛生方針に従い,日本国内・海外で活動を推進している企業を対象とした.華北地域にある2つの事業場と,華中地域にある2つの事業場を訪問した.4つの事業場の労働者数は約250~1,100名である.

結果

1. 法体系

中国における主要な安全衛生に関する法律として,中華人民共和国安全生産法(以下,安全生産法)と,中華人民共和国職業病予防治療法(以下,職業病予防治療法)が存在する.安全生産法は生産安全と事故の防止・減少を目的に,職業病予防治療法は主に職業病の予防を目的に,共に2002年に制定され,その後度々改正されている.

これらの法律に基づき,日本の内閣に相当する国務院が制定する行政法規,各部・委員会が制定する部門規則があり,具体的な技術・基準規範として,JIS(Japanese Industrial Standards:日本工業規格)に相当する標準が存在する.標準は2~3文字のアルファベットと数桁の数字で表記されるが,これは中国語ピンイン音の頭文字である「G:国家(Guojia),B:標準(Biaozhun),T:推奨(Tuijian)」の略であり,労働安全衛生に関する業界標準はAQ:安全(An Quan)と示される.

2. 専門人材

A 産業医・産業保健看護職

1) 医師の種類

中国の医師は,病院内で患者の診察・治療を行う臨床医師,CDC(Centers for Disease Control and Prevention)や衛生局など主に行政機関に属する公衆衛生医師,漢方を専門とする中医師の3つに大別される.5年間の医学部教育カリキュラムは,臨床医師が,基礎医学2年,公衆衛生0.5年,臨床医学2.5年であり,公衆衛生医師が,基礎医学1.5年,公衆衛生2.5年,臨床医学1年と,在学中のカリキュラムが異なるため,受験生は医学部に入学する段階でどの医師になるか選択する必要がある.それぞれの医師免許も異なり,公衆衛生医師が臨床医師のように診療業務に従事することはできない.労働衛生における役割は,臨床医師は健康診断の診察を行い,公衆衛生医師は,日本の企業外労働衛生機関に相当する職業衛生技術サービス機関に所属することが多い.

2) 選任義務と活動内容

中国には産業医制度はなく,事業場に医師や看護職の選任義務もない.しかし,今回訪問した日系企業では,臨床医師や看護師を雇用して,企業内診療所で体調不良者の対応や,健康診断の結果に基づいて保健指導や食堂メニューの減塩化等の活動を行っている事業場があった.

B 安全管理者

1) 選任義務

安全生産法に基づき,鉱業,建設施工業,危険物の生産取扱い,金属精錬事業,道路運輸事業では,安全生産管理組織の設置もしくは専任の安全管理者の配置が必要である.その他の製造業では,労働者が100名を超える場合では,同様に安全生産管理組織の設置もしくは専任の安全管理者の配置が必要であるが,労働者が100名以下の場合は,兼任の安全管理者や安全生産管理の外部委託も可能である.

2) 安全管理者の種類

安全管理者は認証する行政区分に応じて,市,省,国の3つのレベルに大別される.市や省レベルの安全管理者の受験資格は,専門学校以上の学歴と,安全に関する1年以上の業務経験であり,約3日間の研修受講後に試験に合格する必要がある.その後も定期的な研修受講が必要である.

国家レベルの安全管理者と言える登録安全管理者に関する制度が2004年より開始された.受験資格は,専門学校卒で7~9年の安全に関する実務経験,大学卒業で3~5年の実務経験などである.試験内容は,安全生産法と関連知識,安全生産管理知識,安全生産技術,安全生産事故判例分析の4科目である.選択式と記述式の問題から構成され,各科目の試験時間は150分である.合格率が20%以下となった年もあり,日本の労働安全コンサルタント10に相当するものと考えられる.

C 衛生管理者

国家安全監督管理総局による「建設プロジェクトの職業病危害リスク分類管理目録の発行に関する通知(2012年5月31日付け安監総安健[2012]73号)」で,職業病の危害が重大と分類された職場では,職業病予防治療法に基づき,衛生管理組織の設置と専任の衛生管理者の配置が必要である.職業病の危害が重大な業務は,主に化学品の製造,鉱物産業,金属精錬・圧延加工作業などであり,自動車等の輸送機器や電子機器などを含めた一般機器の製造は,職業病の危害が存在する職場として取り扱われる.職業病の危害が存在する職場で労働者が100名を超える場合は,同様に衛生管理組織の設置と専任の衛生管理者の配置が必要であるが,100名以下の場合には,衛生管理者は兼務でもよい.衛生管理者は,安全管理者と同様に,研修受講後に市や省に認定・登録され,その後も継続的な研修受講が必要である.しかし,登録安全管理者に相当するような国家レベルの高度専門人材制度は現在のところ存在しない.

3. 職業病危害要因の測定と現状評価

職業病予防治療法及び「作業場所職業衛生監督管理規定」(国家安全監管総局令47号)に基づき,職業病の危害が存在する職場では,職業病危害要因の測定が必要であり,職業病の危害が重大な職場は,職業病危害要因の現状評価の実施も追加で必要である.

A 職業病危害要因の測定

1) 概要

職業病の危害が存在する職場では,少なくても毎年1回,日本の作業環境測定に相当する職業病危害要因の測定(以下,作業環境測定とよぶ)を実施しなければならない.作業環境測定は,政府衛生部門の認証を受けた職業衛生技術サービス機関が実施しなければならず,測定・分析方法に関して物質ごとに標準に詳細な内容が定められている.事業者は,作業環境測定の結果を記録し,所轄衛生行政部門に報告すると共に,労働者へ公表しなければならない.作業環境測定の結果が国の基準に満たない場合は,直ちに改善措置を講じなければならず,基準に満たなければ,当該作業の再開はできない.

2) 職業ばく露限界値

職業ばく露限界値(OEL: occupational exposure limits)は,2007年に改定された「職場における有害因子の職業ばく露規制値第1部:化学的有害因子(GBZ 2.1-2007)」と「職場における有害因子の職業ばく露規制値第2部:物理的有害因子(GBZ 2.2-2007)」に定められている.前者には化学物質339種類,粉じん47種類,生物学的因子2種類(昆虫病原糸状菌の1種である白きょう病菌,枯草菌から細胞外に分泌されるサブチリシン),後者には11種類の物理的因子(超高周波,高周波電磁界,低周波電磁界,レーザー,マイクロ波,紫外線,暑熱,騒音,振動,地下作業場または炭鉱における温湿度と風速,高負荷作業)が規定されている.高負荷作業は具体的に定義されていないが,業務は肉体労働強度レベルに応じて4つに(I:パソコン入力作業など,II:一般的な物の運搬など,III:重量物運搬など,IV:強度の高い切削業務など)分類され,性別なども加味した,最大心拍数や勤務日の最大総エネルギー消費量が定められている.

化学物質のOELとして以下の3つが採用されている.1つ目は,時間・荷重平均許容濃度PC-TWA(Permissible Concentration-Time Weighted Average)で,一般的な1日8時間,週40時間労働における平均濃度と定義されている.2つ目は,最大許容濃度MAC(Maximum Allowable Concentration)であり,いかなる場合においても,超過してはならない上限値である.3つ目は,短時間許容濃度-暴露限界 PC-STEL(Permissible Concentration-Short Term Exposure Limit)で,たとえ8時間の労働時間における時間・荷重平均濃度がPC-TWA以下でも,1日の作業の時間においても超過してはならない15分間の時間・荷重平均濃度である.日本で管理濃度が定められており,中国の「職場における有害因子の職業ばく露規制値第1部:化学的有害因子(GBZ 2.1-2007)」でも規定されている代表的な化学物質に関して,中国のOELと日本の許容濃度11を比較したところ,多くの物質で,中国のOELは許容濃度以下であった(表1).

表1. 代表的な化学物質に関する中国の職業ばく露限界値と日本の許容濃度の比較
物質名中国(2007年)日本(2018年)
MACPC-TWAPC-STEL許容濃度
アクリロニトリル124.3
エチルベンゼン100150217
エチレンオキシド21.8
塩素7.51.5
カドミウム及びその化合物0.010.020.05
五酸化バナジウム0.05
コバルト及び無機化合物0.050.10.05
コールタール0.2
シアン化カリウム135*
シアン化水素15.5
四塩化炭素152531
ジクロロメタン200170
臭化メチル23.89
水銀及びその無機化合物0.020.040.025
スチレン5010085
テトラクロロエチレン200検討中
トリクロロエチレン30135
ニッケル化合物(ニッケルカルボニルを除く)10.01(水溶性)
0.1(水溶性でないもの)
ニッケルカルボニル0.0020.007
パラ-ニトロクロルベンゼン0.60.64
砒素及びその化合物0.010.020.0003~0.003**
フッ化水素22.5*
マンガン及びその化合物0.150.2
硫化水素107
硫酸ジメチル0.50.52
アセトン300450470
イソプロピルアルコール350700980*
エチルエーテル3005001200
キシレン50100217
クレゾール1022
クロルベンゼン5046
酢酸エチル200300720
酢酸ノルマル-ブチル200300475
酢酸ノルマル-プロピル200300830
酢酸メチル200500610
シクロヘキサノール100102
シクロヘキサノン50100
トルエン50100188
二硫化炭素5103.13
メタノール2550260
メチルエチルケトン300600590

単位はすべてmg/m3

*  最大許容濃度,常時この高度以下に保つこと

**  過剰発がん生涯リスクレベル10-3~10-4の評価値

B 職業病危害要因の現状評価

職業病危害が重大な職場は,作業環境測定に加え,少なくても3年に1回の職業病危害要因の現状評価(以下,作業環境評価とよぶ)を実施しなければならない.作業環境評価は,日本では法令で定められていない制度であるが,「事業者の職業上の危険の状況を評価するための技術的ガイドライン(AQ/T4270-2015)」では,職場における職業病の危険性とそのばく露レベル,職業病予防施設その他の職業病予防対策と効果,および労働者への健康影響に対する職業病の危険性の包括的評価と定義されている.

評価項目として,製造機器等のレイアウト,個人用保護具,健康診断の結果等が確認項目として定められており(表2),書類調査と現場訪問により,工場内のハザードを特定し,リスク評価した後に,リスク低減策を提案する.今回訪問した企業では,公衆衛生医師をリーダーとした4名のメンバーが,3日間かけて実施していた.作業環境評価も,作業環境測定と同様に,政府衛生部門の認証を受けた職業衛生技術サービス機関が実施しなければならず,作業環境評価の結果を所轄衛生行政部門に報告しなければならない.

表2. 職業病危害要因の現状評価に関する項目
項目内容
事業場の基本的情報事業内容,立地場所,使用物質とその使用量,職員配置
全体的なレイアウト労働者の位置,職場内の危険な場所と安全な場所
製造工程・設備配置生産設備や製造プロセス,機械の自動化
建物内の衛生建物の構造,暖房,換気,空調,照明
労働災害職業上の危険の種類と分布,接触時間や操作方法
職業保護具及び緊急救助施設局所排気装置等の設置,緊急救助施設の種類,数量,設置場所
産業衛生サーベイランス過去3年間の健康診断の結果,職業病の症例有無
個人用保護具有害物質に応じた保護具の種類,数量,性能
工場外の施設事務所,休憩場所,食堂,トイレ,診療所
労働衛生管理職業衛生管理組織や職員の設置,管理計画と実施
過去の作業環境評価に対する対応

4. 健康診断

1) 概要

中国では日本の一般健康診断に相当する健康診断は法律に定められていない.しかし,職業病予防治療法及び職場における職業衛生監督管理規定(国家安全監督総局令49号)に,日本の特殊健康診断に相当する職業病健康診断(以下,特殊健康診断)の実施が事業者に義務付けられている.

特殊健康診断の実施時期は,労働者が当該職場に就く前,在職中定期的,その職場を離れる時であり,その費用負担は事業者が行わなければならない.特殊健康診断を実施できる機関は,政府衛生部門により承認を受けた職業衛生技術サービス機関のみであり,診察は臨床医師によって行われる.就業前の健康診断を受診していない労働者に対する当該有害業務従事の禁止や,業務による健康障害が生じた場合の労働者の配置転換が義務付けられている.労働者の職歴,職業病の危害に触れた過去の記録,職業上の健康診断の結果と職業病の診療などの各個人に関する健康面のデータを含んだファイルを作成し,規定の期限通りに適切に保存しなければならない.労働者は退職する際に,自己の健康診断結果のファイルのコピーを要求する権利を有する.

2) 基本的な健康診断項目

健康診断の項目や在職中の健康診断の実施頻度は,業務内容により異なり,これらは「産業衛生モニタリングのための技術仕様(GBZ 188-2014)」に定められている.健康診断の基本項目は,労働者の基本情報(性別,年齢,職歴,家族歴など),一般生理学的検査(血圧,身長,体重など),自覚症状,内科検査,神経系検査,その他の専門検査,臨床検査(血液検査,尿検査,胸部レントゲン検査,心電図検査など)からなり(表3),「産業衛生モニタリングのための技術仕様(GBZ 188-2014)」の付属文書Bには,各健診項目の測定方法が細かく記載されている.例えば血圧測定では,測定前に被験者を5分休ませる,仰臥位もしくは座位で測定する,右上肢の衣服がない状態で少し外転させ肘は心臓と同じ高さにする,カフの下端は肘から約 2 cm~ 3 cmの距離に置く,橈骨動脈の拍動音が消失するまでカフを膨張させる,3回測定した平均値を被験者の血圧とする,各測定間隔は30秒以上あける等である.

表3. 基本的な健康診断項目
検査項目検査内容
労働者の基本情報氏名,性別,生年月日,職歴,生活歴,家族歴など
一般生理学的検査血圧,心拍数,呼吸数,身長,体重,栄養状態など
自覚症状神経系,呼吸器系,心血管系,消化器系,造血・内分泌系,泌尿器系,筋骨格系,眼・耳鼻咽喉系,皮膚
内科診察皮膚粘膜,表在リンパ節,甲状腺
呼吸器検査:胸郭の形状,呼吸音など
心血管検査:心拍数,心雑音など
消化器系検査:腹部の形状,肝臓・脾臓の大きさ・硬さ
神経一般検査意識,精神状態,腱反射,深部感覚など
その他の専門検査眼科検査:視力など
口腔内検査:歯肉・歯の状態など
耳の検査:一般聴覚検査など
鼻・咽頭の検査:鼻中隔,咽頭,扁桃など
皮膚検査:色素沈着,発疹,水疱など
臨床検査血算:ヘモグロビン,赤血球数,白血球数および分類,血小板数
尿検査:色,pH,比重,尿中タンパク,尿糖など
肝機能検査:ALT,γ-GTP,総ビリルビン,総蛋白など
胸部レントゲン検査:
心電図
肺機能検査:肺活量,努力性肺活量,1秒率,%肺活量
腎機能検査:血清クレアチニン,血中尿素窒素

3) 健康診断の対象業務

健康診断の実施対象となる有害要因は,化学物質(58種類),粉じん(6種類),物理的要因(6種類),生物学的要因(2種類),特殊作業(9種類)に分類されている(表4).各有害業務に関して,在職中定期的に実施する健康診断の項目を基本に,職場に就く前,当該職場を離れる時,緊急時,に実施する健康診断の項目が決まっている.

表4. 健康診断の実施対象業務
分類対象物質・業務
化学物質鉛とその無機化合物
テトラエチル鉛
水銀とその無機化合物
マンガンとその無機化合物
ベリリウムとその無機化合物
カドミウムとその無機化合物
クロムとその無機化合物
酸化亜鉛
ヒ素
アルシン(水素化ヒ素)
リンとその無機化合物
リン化水素
バリウム化合物(塩化バリウム,硝酸バリウム,酢酸バリウム)
バナジウムとその無機化合物
トリアルキルスズ
タリウムとその無機化合物
ニッケルカルボニル
フッ素とその無機化合物
ベンゼン(工業用トルエン,キシレンもベンゼンを参考にして実施する)
二硫化炭素
四塩化炭素
メタノール
ガソリン
臭化メチル
1,2-ジクロロエタン
ノルマルヘキサン
ベンゼンのアミノ化合物およびニトロ化合物
トリニトロトルエン
ベンジジン
塩素
二酸化硫黄
窒素酸化物
アンモニア
ホスゲン
ホルムアルデヒド
モノメチルアミン
一酸化炭素
硫化水素
塩化ビニル
トリクロロエチレン
クロロプロペン
クロロプレン有機フッ化物
トルエンジイソシアネート
ジメチルホルムアミド
シアン化合物とニトリル化合物
クレゾール,カテコール,レゾルシノール,ヒドロキノンなどのフェノール化合物
ペンタクロロフェノール
クロロメチルエーテル[ビス(クロロメチル)エーテルも参考にして実施する]
アクリルアミド
ジメチルヒドラジン
硫酸ジメチル
有機リン系殺虫剤
カルバメート系殺虫剤
ピレスロイド系殺虫剤
酸ミストまたは酸無水物
職業性喘息の原因物質
コークス炉からの放散物質
粉じん遊離シリカ粉じん
石炭粉じん
アスベスト粉じん
その他の無機粉じん
コットンダスト(亜麻,柔らかい麻,ジュートダストを含む)
有機粉じん
物理的要因騒音
振動
高温
高気圧
紫外線
マイクロ波
生物学的要因ブルセラ菌
炭疽菌
特殊作業電気工事
高所作業
圧力容器作業
結核の予防および管理業務
肝炎の予防および管理業務
職業自動車運転
VDT作業
高地作業
航空乗務

特定の業務に従事することにより,一般的な労働者よりも職業上の健康リスクが高く,職業病に罹患する可能性や健康影響を受ける可能性の高い状態を職業禁忌症と呼び,健康診断の結果,職業禁忌症と判断された場合は,当該業務への従事を避けなければならない.各健康診断でそれぞれ職業禁忌症が定められている.日本と中国の健康診断項目を比較するために,代表的な有害要因と思われる,ベンゼン(特定化学物質),メタノール(有機溶剤),鉛(重金属),遊離ケイ酸粉じん(じん肺),騒音(物理的要因),自動車運転(特殊作業,職務適性)に関する在職中の健康診断項目を示す(表5).

表5. 代表的な健康診断項目
         ベンゼン      メタノール         鉛        遊離ケイ酸粉じん         騒音              自動車運転       
職業禁忌症造血系疾患網膜神経障害
視神経症
器質性中枢神経障害
中等度貧血
ポルフィリン症
多発性末梢神経障害
活動性結核
慢性閉塞性肺疾患
肺機能障害を伴う疾患
騒音以外要因による恒久的感音性難聴(500 Hz,1,000 Hz,2,000 Hzいずれかで 25 dB以上の純音気導閾値)
伝音声難聴(平均周波数の聴力損失が 41 dB以上)
騒音敏感(就業前の各周波数の聴覚損失が 25 dB以下であり,騒音作業従事1年以内に 3,000 Hz,4,000 Hz,6,000 Hzのいずれかの周波数で聴覚閾値が 65 dB以上)
両眼の遠見視力
 大型:両目<0.1(裸眼)および<1.0(矯正)
 小型:両目<0.1(裸眼)および<0.8(矯正)
両耳の平均聴覚閾値> 30 dB
血圧
 大型:収縮期血圧≧140 mmHgおよび拡張期血圧≧90 mmH
 小型:II度III度のコントロール不良な高血圧
赤緑色盲,器質性心疾患,てんかん,振戦麻痺,くる病,向精神薬を長期間使用している者
自覚症状頭痛,めまい,疲労,不眠,記憶喪失,皮膚粘膜出血,月経異常などの神経系・血液系に焦点を当てる網膜および視神経症,器質性神経障害の症状に焦点をあてる貧血や以下のような神経系および消化器系の一般的な症状に焦点を当てる:頭痛,めまい,疲労,不眠症,過敏性,多夢,記憶喪失,四肢の痺れ,腹痛,食欲不振,便秘など咳嗽,胸痛,呼吸困難,喘鳴,喀血その他の症状に焦点を合わせる中耳・外耳疾患の既往,聴覚に影響を与える可能性のある外傷歴・薬剤歴・中毒歴・病歴・家族歴,騒音ばく露歴職業禁忌に関する病歴,喫煙の有無,薬物の注射,依存性向精神薬の長期使用歴および治療歴に焦点を当てる
身体検査内科診察内科診察
神経一般検査
眼科検査・眼底検査
内科診察:消化器系と貧血に焦点を当てる
神経一般検査
内科診察(呼吸器系および心血管系に焦点)内科健診
耳科検査
内科診察
外科診察*:身長,体重,頭,首,手足,筋肉,骨に焦点を当てる
眼科検査:深視力,視野,暗順応,色識別
耳科検査
臨床検査
(必須)
血算(細胞形態や分画に注意)
尿検査
心電図
血清ALT
肝臓・脾臓の超音波検査
血算
尿検査
心電図
肝機能
肝臓・脾臓の超音波検査
血算
尿検査
心電図
血中鉛または尿中鉛
胸部X線高圧撮影(後前方向)またはデジタルエックス線検査
心電図検査
肺機能検査
気導純音聴力検査
心電図
血算
尿検査
心電図検査
気道純音聴力検査
臨床検査
(選択)
尿中trans, trans-ムコン酸
尿中フェノール
骨髄穿刺
視野検査尿中δ-アミノレブリン酸(δ-ALA)
赤血球亜鉛プロトポルフィリン(ZPP)
赤血球遊離プロトポルフィリン(FEP)
神経筋電図検査
血算検査
尿検査
血清ALT
骨導純音聴力検査
音響インピーダンス検査
耳音響放射検査
聴性誘発反応検査
複雑反応検査**
速度推定検査
ダイナミックビジョン検査
実施頻度1年3年(推奨)血中鉛<400 μg/Lまたは尿中鉛<70 μg/L:年1回
血中鉛 400 μg/L~600 μg/L,または尿中鉛 70 μg/L~120 μg/L:3ヶ月に1回血中鉛または尿中鉛の測定
生産ダスト分類
・1級:2年に1回
・2級以上:1年に1回 など
8時間の等価騒音レベル
・80 dB以上 85 dB未満:2年に1回
・85 dB以上:年に1回
大型:1年に1回
小型:2年に1回
*  各関節の可動域の確認など主に整形外科で実施される診察と考えられる.

**  被験者の前にある赤色のランプが点灯したら右足のスイッチを踏み,緑色のランプが点灯したら右手の応答器,黄色のランプが点灯したら左手の応答器を押す.他の色のライトが点灯した時や,音が聞こえた時は,足や手のスイッチを押さない

5. 職業病

1) 職業病の定義と分類

職業病予防治療法の第2条に,職業病は「労働者が仕事中に粉塵,放射性物質とその他有毒・有害物質に触れるなどの要因により患った疾病」と定義され,「職業病の分類と目録」により10大分類128種類に分類されている(表6).その他3種類は,金属熱,地下労働者の滑液包炎,掻爬作業者の大腿静脈血栓症症候群・大腿動脈閉塞またはリンパ閉塞である.

表6. 職業病の分類
1じん肺(12種類)及びその他の職業性呼吸器疾患(6種類)
2職業性皮膚疾患(8種類)
3職業性眼疾患(3種類)
4職業性耳鼻咽喉口腔疾患(4種類)
5職業性化学物質中毒(59種類)
6物理的因子による職業病(7種類)
7放射線による職業性疾患(10種類)
8職業性感染症(5種類)
9職業性がん疾患(11種類)
10その他(3種類)

中国における職業病の統計は,12,212件(2005年)から29,972件(2014年)と増加し,その約80%がじん肺である.しかし,データ欠損率が高く全体像を正確に把握することは困難であり12,実際にはこの報告数よりも多いと考えられている.

2) 職業病の診断

職業病の診断は,政府衛生行政部門によって認定された医療衛生機関が行う.機関の認定条件は,診断に必要な検査機器と専門医に加え,適切な品質管理システムを有することである.2016年11月に確認した際には,上海,北京,武漢の3か所にある総合病院付属職業病センターと,15の中国疾病対策予防センター付属職業病防止病院の合計18機関が職業病の診断資格を有していた.職業病の診断では,労働者の職歴,有害要因にばく露された期間及び濃度,診察所見及び補助的検査の結果等を総合的に分析し,3名以上の職業病専門医(3年以上の実務経験があり,試験に合格したもの)により診断しなければならない.

6. 職業衛生技術サービス機関

作業環境測定・現状評価や健康診断を実施する機関は,政府により認定されなければこれらのサービスを提供することはできない.なお,組織体制,試験に合格したスタッフ数,設備や品質管理等により,甲級,乙級,丙級と3つにランク付けされる.甲級は,国務院およびその関連部署により認定された機関であり,原子力施設など特殊業務を含め,中国全土でサービスを提供することができる.乙級は,省およびその関連部門により認定された機関であり,所属省,自治区,直轄市でサービスを提供できる.丙級は所属する区,市等でサービス提供できるが,一部制限がある.

考察

安全衛生関係法令で規定されているものを日中で比較すると,安全管理者や衛生管理者の制度,作業環境測定や特殊健康診断の実施は共通していた.一方,日本だけ認められるものとして,産業医や労働衛生コンサルタントなど衛生に関する専門人材制度,一般健康診断の実施があり,中国だけ認められるものとして,職業病危害要因の現状評価(作業環境評価)があった.

中国では,作業環境測定や特殊健康診断を,企業外の職業衛生技術サービス機関で実施しなければならず,企業内に産業医や産業保健看護職などの医療の専門家の選任義務はなく,専門医などの衛生に関する高度専門人材育成制度もない.そのため,衛生や健康の専門知識について,企業内部と行政機関や職業衛生技術サービス機関等の外部機関との格差が大きいことが特徴であり,企業側からみると,そのことによる問題が発生する.

まず,作業環境測定結果に基づいて職場環境を改善することが難しい点である.中国では,基準内であれば措置の規定はないが,基準外であれば直ちに改善措置を講じなければならない.しかし,作業環境測定結果が基準外だった場合に,職場の状況や作業内容をよく理解した専門家から,助言が得られにくい.

健康診断においては,職業禁忌症への対応など判定結果に基づく事後措置が義務付けられている.この健診の判定結果は,社内に産業医等の専門家がいないため,基本的には外部機関の判定に従わざるをえない.しかし,提供されるサービスの質への懸念が存在するにも関わらず,企業側がその質を判断することは困難である.日系企業のある事業場で,騒音健康診断で配置転換した労働者の健康診断の結果を確認したところ,気道純音聴力検査で,両耳とも 500 Hz,1,000 Hz,2,000 Hzは約 25 dB,3,000 Hz,4,000 Hz,6,000 Hzは 90~100 dBであり,前回(1年前)とほぼ結果は変わらなかった.しかし,1年前の健康診断の結果に対するコメントは,職業病の疑いがあるため,職業病の危険に対する個人の保護(耳栓着用)の強化を推奨するであったが,今回は,騒音以外の原因による恒久的感音性難聴であり職業禁忌症に該当するため職場異動を推奨とあった.この結果の解釈を,訪問調査先の専門家に尋ねたところ,政府の認定機関であるため一定の基準を満たしているが,機関のレベル格差の大きさが問題との回答が得られた.

また,日本では作業環境測定の結果,第1~3管理区分の3つに分類され各管理区分に応じて講ずべき措置が定められており,特殊健康診断では,作業内容や作業環境測定結果等を把握した上で,健康診断の結果を企業内で柔軟に解釈することが可能である.しかし,中国では,これらの結果が基準内か基準外かで企業の講ずべき対応が大きく異なるため,安全衛生担当者の関心は,作業環境測定や健康診断の結果が基準に合致するか否かに集まりやすい.そのため,検査結果がかろうじて基準内だったとしても,政府が認定した機関で基準内と判断されれば問題ないと,安全衛生上のリスクを過小評価する懸念や,法令や外部機関からの指示を遵守すること自体が重要視され,安全衛生活動が形骸化しやすいという問題がある.

今後中国で,職業上の健康問題として重要になると考えられるのは,職業性がんなどの潜伏期間の長い疾患である.中国の特殊健康診断の実施義務は,当該業務から離れる際までであり,日本のように,過去に従事させたことのある労働者や,健康管理手帳のように離職後の健康診断の実施制度がない.中国のOELは日本の許容濃度より厳しい物質が多かったが,発がん性のあるヒ素は日本の方が厳しかった(表1)ことからも,このような物質への対応は現時点では十分ではないと考えられる.

また,2014年に安全生産法が改正された際に,生産事故につながる設備に関するリスクマネジメントを実施することが事業者に義務付けられた.職業病予防法では,事業者が職業病の危険のある化学物質等を提供する場合,製品の特性,主成分,有害要因,健康影響,安全上の注意点,職業病の予防および研究治療措置が記載された取扱説明書も提供しなければならず,「化学品リスク評価の一般原則(GB/T 34708-2017)」「GHSラベルおよび化学物質の安全データシートのための理解可能な試験方法(GB/T 34714-2017)」が2018年5月1日より適用された.このため,リスクマネジメントの対象が生産事故につながる設備だけでなく,化学物質にも拡大される可能性がある.さらに,職業病として,筋骨格系疾患,長時間労働に伴う健康障害,精神疾患が掲載されていないことが問題視されており7,今後職業病として認定されるようになると,その対応の必要性が顕在化される.

職業衛生技術サービス機関や専門家がより経済的に発展した地域に集約することが知られているため6,大都市から離れた場所に事業場を有する日系企業ほど,これらの問題に対するリスクはより大きくなる.その対策として,事業場において公衆衛生医師を積極的に活用することが考えられる.公衆衛生医師の一部は,安全衛生の知識を有し,外資系企業等で産業医として活動しているため,日系企業の現地事業所でも,同様に検討できるであろう.また,日本本社等からの専門家による支援も考えられるが,その際,日中の安全衛生は異なる点もあるため,中国の安全衛生制度を理解する必要がある.本研究の限界として,訪問した専門機関は全て同じ都市に位置しており,日系企業の4つの現地事業場は同一企業であるため,一般化できない可能性がある.

謝辞

本研究は,株式会社小松製作所からの産業医科大学の受託研究の一環として実施されました.調査にご協力頂いた各訪問機関の皆様,また,中国語の翻訳等に関して助言頂きました産業医科大学産業生態科学研究所健康開発科学研究室の姜英先生に深謝致します.

利益相反

利益相反自己申告:申告すべきものなし

文献
 
© 2020 公益社団法人 日本産業衛生学会
feedback
Top