2024 年 66 巻 5 号 p. 202-206
2021年5月に「良質かつ適切な医療を効率的に提供する体制の確保を推進するための医療法等の一部を改正する法律(以後,改正医療法)」が成立し,2024年4月から診療に従事する勤務医に対して時間外労働の上限規制が適用されることとなった.時間外・休日労働の上限は原則年960時間以下/月100時間未満(以下,A水準)となる.また,地域医療における必要性等の理由がある場合は,「地域医療確保暫定特例水準」(B水準あるいは連携B水準),一定の期間集中的に技能向上のための診療を必要とする場合は「集中的技能向上水準」(以下「C水準」)として,都道府県知事が指定した医療機関では,年1,860時間まで時間外・休日労働が認められることとなった.この960時間(80時間/月),1,860時間(155時間/月)は,従来の労働基準法による時間外・休日労働時間の上限よりも大幅に延長されている.改正医療法では,このような過酷な条件で医療に従事する医師の健康を確保する目的で,追加的健康確保措置を行うことが求められている.追加的健康確保措置の一つとして,長時間労働の医師の面接指導の実施が求められており,「長時間労働の医師の健康確保措置に関するマニュアル」初版1),改訂版2)にはその背景および具体的な内容をまとめられた.本マニュアルは,これまでに蓄積された「睡眠と休養」に関するエビデンスをもとに作成されており,本稿ではその科学的背景を紹介する.
2. 長時間労働の医師の現状医師の労働時間は,医師の働き方改革の一環として,平成28年(2016年),令和1年(2019年)および令和4年(2022年)に調査された.令和1年度の調査では,約10%弱の医師が年1,860時間以上の時間外労働に従事していた(図1)1,2).働き方改革に関する検討会における議論によると,令和1年時点で年間3,000時間に達する時間外労働を行っている医師もいる中で,「まずは上位1割に該当する医師の労働時間を確実に短縮すること」を目的として,時間外労働年間1,860時間という上限が導入された3).そして,令和6年4月より改正医療法が施行されることが決まった後の令和4年度の調査では,約5%弱へと半減したことが明らかとなった4).米国の調査でも約5%程度が週80時間以上の勤務(年間時間外労働が2,000時間程度)に従事していることが明らかとなっており5),令和4年度の休日・時間外の労働時間に関する結果は,米国と同水準であると考えられた.一方,改正医療法では,将来的には全医師が年間時間外・休日労働時間が960時間以内となることを目指しているが,米国式の医療と医学教育の導入を目指す本邦において,さらなる年間の時間外・休日労働時間減少の可能性,あるいは,将来の目標である年間の時間外・休日労働時間960時間未満達成の可能性については,いずれも十分かつ慎重に調査すべき医療制度の課題であると考えられた.
労働基準法では,既報のメタアナリシスによると,月当りの休日・時間外労働が合計80時間から100時間より多いと,脳卒中,心疾患などの身体疾患あるいは抑うつなどの精神疾患のリスクが顕著に上昇すると考えられている6,7).そして,月当りの休日・時間外が80時間から100時間が過労死ラインとされる.そこで,年間1,860時間( = 月155時間)の休日・時間外労働に従事する医師の健康を守る施策が必要となる.
ある程度以上の長時間労働により睡眠時間の減少に至ることが知られている.睡眠を評価する指標には,睡眠の量(睡眠時間),睡眠の質(例,睡眠時無呼吸症等で睡眠の質が低下する),睡眠のリズム(社会的ジェットラグ,概日リズム,交代勤務など)などを評価することとなる.まず,量的な評価として,上記のマニュアルの端緒となった,厚生労働科学研究「病院勤務医の勤務実態に関する研究」8)では,6時間睡眠,週80時間労働に注目したところ,週80時間以上勤務していても毎日6時間の睡眠により,うつのリスクおよびストレスが大幅に減ることが示された9).そこで本マニュアルでは,7時間以上の睡眠が理想的ではあるが,最低でも6時間以上の睡眠をとることを推奨した.
睡眠の質の評価として,トラック運転手の睡眠時無呼吸症に関する研究について紹介する.Burksらによると,睡眠時無呼吸症を有するトラック運転手は健常な運転手の約5倍の事故を起こすリスクがあるが,睡眠時無呼吸症を治療することにより健常運転手まで事故のリスクを改善することが出来る10).
さらに,本稿では詳述しないが,シフト労働による健康障害もエビデンスが確立しており,マニュアルに詳述されている1,2).
本マニュアルでは,作成に際して実施した医師の働き方改革に関する各種調査に加えて,他の職域から得られたエビデンスを応用し,「睡眠・休養を十分にとる」ことにより,長時間労働医師の健康リスクを低減させることを提唱した.
本邦でも,改正医療法に先行して,道路交通法が改正され,職業運転者の乗務前点呼では,疲労について調査することとなっている11).しかし,眠気,睡眠負債に関する自覚症状はあてにならない場合があることに注意すべきである.我々が本邦のトラック運転者を対象とした調査では,睡眠時無呼吸症の有病率が呼吸障害指数(Respiratory Event Index, REI)5以上で51.3%,15以上で13.1%と高率であるにもかかわらず,7.5%しか眠気を訴えていないことが明らかとなった12).この生理学的背景は,Van Dongenによる断眠(0時間睡眠),4時間睡眠,6時間睡眠,8時間睡眠の4グループで14日間の睡眠制限を実施した研究結果13)から理解できる.断眠グループ(0時間睡眠/日)では,断眠継続日数に応じて主観的眠気が亢進する(図2左の0時間睡眠).一方,睡眠制限状態(4時間/日,6時間/日)を継続すると,両グループでは5–7日間継続することにより,1日断眠した時と同レベルの主観的な眠気に達し,その後,著明な眠気の亢進は認められない(図2左,薄いグレーの部分).睡眠不足状態を継続しても,一定レベル以上の主観的眠気の亢進を自覚しない.すなわち,主観的な眠気では,慢性の睡眠不足状態を正確に評価できないことが明らかとなった.
左:睡眠制限期間とスタンフォード眠気尺度による主観的眠気の関係.右:睡眠制限期間とPVTによる客観的眠気の関係.
一方,上記の睡眠制限を継続した際の客観的評価を,後述する精神運動覚醒検査(psychomotor vigilance test(PVT))の反応遅延回数を用いて評価すると,PVTの反応遅延回数は4時間睡眠を一週間程度続けると1日断眠したレベルに達し(図2右,薄いグレーの部分),1–2週間続けると2日間程度断眠したレベル(図2右,濃いグレーの部分),そして,4時間睡眠を2週間続けると3日間断眠した場合と同レベルに達した.6時間睡眠でも同様の現象が観察された.従って,PVTの成績は,睡眠制限の日数およびその度合いに応じて悪化することが明らかとなった(図2右,薄いグレーの部分).以上の研究結果より,慢性の睡眠不足状態における主観的な眠気とPVTのデータは,乖離することが示され,主観的な眠気の問診では検出できない慢性睡眠不足の程度を,PVTを用いて客観的に検出可能であることが示唆された13).慢性睡眠不足状態にある長時間労働の医師の睡眠に関する評価も,主観的眠気ではなく,PVT等の客観的覚醒度の評価を活用すべきであると考えられた.
さらに興味深いことに,別の研究14)では,3時間睡眠,5時間睡眠等の睡眠制限を7日間実施し,3日間,十分な睡眠(8時間)に戻しても,必ずしも反応遅延回数の結果は正常レベルに戻らないことが示された.本結果から,日々の睡眠不足は睡眠負債の原因となり,睡眠負債が著明に亢進する前に十分な睡眠・休息を取るべきと考えられ,この点はマニュアルでも強調した.
このほか,職業運転者の社会的な背景として,「その日の勤務から外される」あるいは「職を失う」理由となるため,朝の点呼で「眠い」と回答しない経済的なインセンティブの問題もあり,以上のような社会的背景により,正確な申告がなされない可能性もあることにも留意すべきである15).
2. 長時間労働の医師の客観的評価「長時間労働の医師の健康確保措置に関するマニュアル(改訂版)」では,医師の睡眠負債を質問票で把握する場合は,主観的な眠気あるいは睡眠負債の評価として,表1のような質問表を作成した.さらに,本マニュアルでは,睡眠負債に関する客観的な評価にも注目した.客観的評価として,前述のPVTを活用して睡眠負債を客観的に評価することを提案した.PVTは,手で抱えることが出来る大きさの箱型の検査機器である(図3).検査が始まると窓に赤い数字が表れる.被験者は,その数字を見ると利き腕側の指でボタンを押す.しばらくすると,また,赤い数字が表れ,ボタンを押す,という操作を繰り返す.このようにして,各被験者の反応時間を繰り返し測定する.標準版では10分間,短縮版では3分間これを実施するという検査である15).10分間,あるいは,3分間,繰り返し反応時間を測定することにより,PVTからは反応時間および反応遅延回数等,反応時間関連の指標が得られ,これらの指標は覚醒度・パフォーマンスと関連する16).さらに,日本全国の医師を対象とした令和1年度の調査1)の際に,参加者を募りPVTを実施した実証調査では,約1,200名のデータを解析したところ,PVTの成績不良群では,抑うつ状態,バーンアウトが多いことが明らかとなった17).
最近2週間の状況について回答して下さい. | 0点 | 1点 | 2点 | 3点 |
平均睡眠時間 | 7時間 以上 | 6–7時間 未満 | 5–6時間 未満 | 5時間 未満 |
朝起床時に熟睡感(よく眠ったという感覚)がある | よくある | ―― | 時々ある | なし |
午後に眠気もしくは疲労感を感じる | なし | ―― | 時々ある | よくある |
いつでもどこでも寝ようと思えば入眠可能(新幹線等の中で入眠可能な状態) | なし | ―― | 時々ある | よくある |
夕方のカンファレンスあるいは車を運転中に眠気を感じていないのに一瞬居眠りをすることがある | なし | ―― | 時々ある | よくある |
慢性的な疲労感がある | なし | ―― | 少しある | 大いにある |
総合点 | 点 | |||
上記の総合点 | 0~2点 | 3~4点 | 5~8点 | 9~18点 |
睡眠負債の状況 | 0 | 1 | 2 | 3 |
最近1年間について回答して下さい. | ||||
家族・同僚から,大きないびき,または,睡眠中の呼吸停止を指摘された | なし | 少しある | 時々ある | よくある |
※「よくある」の場合は,睡眠時無呼吸症候群のスクリーニング検査を勧める
マニュアルでは,アクチグラフも客観的な評価手法として提案している.アクチグラフィ法は,四肢の動きを経時的に記録したもので,通常数日から数週間連続で取得する.よく用いられる装置は,手首,足首,腰などに装置を装着し3次元的な動作を加速度で検出する.覚醒度が高いと活動量が上昇し,覚醒度が低下すると活動量が低下,睡眠に至ると活動量がほぼ0となることを利用して,客観的な睡眠時間に関する情報を得ることが可能となる.このデータを基に,睡眠潜時 (sleep latency),総睡眠時間(total sleep time)など睡眠に関する情報も取得可能である.さらに,データサイエンスの進展により,アクチグラフからは,正確な睡眠時間,睡眠の質を評価することが可能となりつつある18,19).
改正医療法では,長時間労働の医師の面接指導を行うことが義務付けられている.労働安全衛生法に基づく長時間労働者の面接とは異なり,「月あたりの時間外・休日労働時間が100時間を超えてもよいか」について,事前に心身の状態を評価することを目的としている.その際に,前述の睡眠負債を評価し,可能であれば,PVTによる睡眠負債の評価を行うことが望まれる.
「長時間労働の医師への健康確保措置に関するマニュアル」1,2)は,マニュアルという性格上,網羅的に記述するよう心がけて作成されたが,その背景として,以上に述べてきた睡眠・休養に関する科学的知見に注目して作成された.睡眠医学・睡眠予防医学知見を活用して社会実装した一つの例と考えられる.
本稿は,第95回日本産業衛生学会総会で,本「職域における睡眠呼吸障害研究会」が主体となって開催したシンポジウム「医師の働き方改革:面接指導実施医師に求められる役割」における筆頭著者HWの発表「過重労働・睡眠負債の健康影響」の内容に,新しいエビデンス等を加筆・修正したものである.
利益相反自己申告:申告すべきものなし