史学雑誌
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研究ノート
1910年代奈良県における民衆教化政策と被差別部落
――媒介としての寺院・神社に注目して――
佐々木 政文
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2015 年 124 巻 4 号 p. 62-85

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抄録

 本稿は、1910年代奈良県下の被差別部落において、寺院や神社を媒介とする民衆教化政策がいかなる形で実施されたのかを、地域での信仰活動の変化と関連づけながら検討したものである。
 奈良県下の被差別部落民は、浄土真宗を第一の信仰対象とする一方、神祇信仰や国家祭祀に対しては消極的であり、さらに他の地域から氏子組織上の差別を受けている場合が多かった。これに対し、日露戦争後に県が実施した部落改善政策は、来世信仰の改革、「真俗二諦」説の強調、氏子差別の解消、神棚の設置、国旗掲揚の普及、大神社への参拝奨励といった様々な手段を通して、彼らの国家意識を強化しようとした。本稿ではこの過程を、近代日本の民衆教化政策が、従来地域一般の信仰生活から排除されていた人々を神社祭礼の体系に取り込んでいった過程として評価した。
 同時に、日常的に部落住民との関係が深かった被差別部落寺院の僧侶には、部落改善政策の担い手となることが強く期待された。しかし、彼らは部落住民からの収入に経済的に依存していたことから、貯蓄・節約の奨励という県の政策を貫徹することが難しかった。このようななかで、県下の部落内有力者によって1912年7月に結成された大和同志会も、寺院・僧侶の部落改善事業参加に期待する一方で、檀家からの収入に依存する教団組織の体制を厳しく批判した。
 第一次世界大戦中の1916年以降には、県は部落住民の国家意識を高める目的から、被差別部落への神社導入を政策的に推進しはじめた。この政策の変化を受けて、部落単位でも各部落の有力者が中心的主体となって信仰改革が進められ、部落内の寺院に明治天皇遙拝所が建設されるなど、国家意識に繋がる新たな信仰形態が模索された。

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