史学雑誌
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イングランドの政治的統合
「アングル人とサクソン人の王国」におけるマーシア人の集会
内川 勇太
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2016 年 125 巻 10 号 p. 1-41

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抄録

本稿は、主に集会で出された文書を用いて、「アングル人とサクソン人の王国」(c. 880-927)におけるマーシア人の集会を考察し、イングランドの政治的統合過程の解明を目指した。この時期のマーシアはウェセックス王権の支配下に置かれ、新たな政体の一部に統合されたと考えられているが、その統治の実態が具体的に考察されることはなかった。そこで本稿は初期中世西ヨーロッパの統治の中心である集会に着目して、当該時期のマーシアの統治実態を明らかにし、統合を促進した諸要因を探った。
第一章では、マーシア人の集会の、開催地、開催の時(時期・期間・頻度)、参加者、そこで扱われた事柄とその処理の過程を網羅的に調査し、当時のマーシアが集会を通じてそれ以前のマーシア王国と同様に統治されていたことを明らかにした。
第二章では、この時期のウェセックス王権のマーシアへの伸長を集会の文脈で捉え直した。その結果、ウェセックス王権はマーシア人の集会に選択的・部分的に関与することによって自らの利害を追求し、マーシアへ王権を浸透させていったことが明らかとなった。
マーシアとウェセックスで個別に開催された「アングル人とサクソン人の王国」の集会はのちの「イングランド人の王国」(927-)における王国集会とは異なって、マーシアとウェセックスの聖俗貴顕が交流し、イングランドの政治的統合を促進した場ではなかった。
第三章では、マーシアの聖俗貴顕が、チャータを通じてウェセックス王権を受け入れたこと、集会ではなく教会会議、軍事遠征、宮廷においてウェセックスの王と貴顕との関係を構築し、王国を越えた利害を形成したことを指摘し、それがイングランドの政治的統合のより重要な駆動力となったことを示した。
2つの集会を持つ「アングル人とサクソン人の王国」は、未だ統合の途上にあったウェスト=サクソン人とマーシア人という2つの民を統治するにふさわしい政体であった。

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