史学雑誌
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中世京都における葬送と清水坂非人
島津 毅
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2016 年 125 巻 8 号 p. 1-36

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抄録

中世京都では清水坂非人集団の奉行衆(ぶぎようしゆう)(以下、坂と記す)が京中の葬送を統轄していたと、これまでの研究では理解されてきた。そして坂が葬送を統轄するまでの経過は、次のように説明される。
①十三世紀末、清水坂非人(以下、坂非人(さかひにん)と記す)は、葬送を担った対価として、葬場へ持ち込まれた諸道具類を没収する権利を持っていた。
②十四世紀中頃、坂は京中の葬送を統轄しており、十五世紀、坂は京中の寺家(じけ)に免(めん)輿(よ)と言って三(さん)昧(まい)輿(こし)使用の免許を与え、寺家が独自に葬送を行える権限を与え得る存在であった。
以上のような理解は、現在も通説として用いられているが、少なくとも二つの問題を抱えていた。一つは坂非人が葬送で諸道具類を取得し得た権利の由来が解明されていないこと、二つに、中世後期における坂の権益が獲得された経緯や背景が解明されていないことである。そこで、本稿はこれら問題を解明するために検討を進め、次のようなことが明らかになった。
(1)少なくとも十世紀初め頃の葬送から行われていた、葬場での輿や調度品等の上(あげ)物(もの)を焼却する儀礼が十三世紀前半頃に廃れてゆき、代わって坂非人が上物を乞場(こつば)であった鳥(とり)辺(べ)野(の)で非人施行(せぎよう)の一環として受けるようになる。
(2)十三世紀後半、坂は鳥辺野を「縄張り」として支配権を強め、葬地へもたらされた「具足」を当然に取得できる権益として確立する。
(3)十五世紀頃、寺家の常住輿使用による葬送に坂が対処した結果、坂の得分が現物輿の取得から免輿措置としての金銭取得に変化する。
(4)十五世紀以降、寺家による境内墓地創設への対処として、坂は鳥辺野での既得権益を梃子として、鳥辺野以外の葬地における葬送へも輿をはじめとする葬具の使用料などを取得するようになる。
以上のように坂の得分の実態は、中世後期における葬送墓制の変化に対して、乞場・鳥辺野で得られなくなる輿等の葬具に対する補償を求めた坂の措置に過ぎなかった。

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