史学雑誌
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太平洋における国際的な津波防災体制の成立
ヤコビ 茉莉子
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2018 年 127 巻 6 号 p. 64-82

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抄録

津波は、原因となる海底地形の変形から発生までの余裕があるため予報は可能であり、警報や避難などで対応することができる。環太平洋地震帯で起きた津波は広範囲に被害を与える可能性があり、津波防災は津波研究の国際協力を必要としている。本稿は津波研究の国際化と、太平洋の中の日本とアメリカの津波防災体制の成立をグローバル史の視点から紹介するものであり、二つの目的を持つ。第一に、津波を題材に、ローカル・国家・ グローバルの三つのレベルから防災を捉え、日本の防災体制の成立と国際的な動きとの関連性、及びその中の地域の役割を明らかにし、 第二に、科学者の防災への貢献を分析することである。科学者はエキスパートとして防災対策を助言するほか、国際協力の架け橋となる存在である。
「Tsunami」という言葉は国際的に通用するが、その背後には日本の地震学の発展と国際協力の展開がある。災害国日本は地震学の先進国として世界的に認められており、今村明恒などは津波研究の「開拓者」となり研究成果を英語でも発信した。一九二〇年代には更に国際協力が求められるようになり、一九二六年の太平洋学術会議で観測ネットワークが提案されたり、 一九三一年に国際測地学・地球物理学連盟のもとで津波調査委員会が設置されたりしたが、長続きはしなかった。日本の研究者の影響を受け、Thomas Jaggarらハワイの津波研究者は一九二〇年代から三〇年代にかけて世界初の津波警報を実行した。一方、日本では一九三三年の昭和三陸津波を機に、総力戦体制に影響を受けた避難訓練や三陸津波警報組織を導入した。一九四六年のアリューシャン地震津波の影響でアメリカ沿岸測地局はハワイに津波警報センターを設け、地震観測の報告を日本や南米諸国に要請し、GHQは日本に全国を対象にした津波警報を要求した。一九六〇年のチリ地震は、この制度は不十分であることを示し、新たな津波研究に対する国際協力と太平洋津波警報システムの出発点となった。
日本とアメリカ合衆国の津波防災や津波防災に対する国際協力は、いずれも似通った経路を辿り、影響しあいながら成立した。津波防災はいずれも津波災害を受けやすい地域から一九三〇年前後に進められ、その背景には防災に関心を寄せる科学者がいた。戦後になって国家レベルで組織が設けられ、国際協力は一九六〇年代に成立した。日本の防災は、国際的な展開から切り離して考えることはできない。

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