史学雑誌
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元帥府・軍事参議院の成立
明治期における天皇の軍事顧問機関
飯島 直樹
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2019 年 128 巻 3 号 p. 1-36

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抄録

元帥府とは1898年に天皇の「軍事上ニ於テ最高顧問」の役割を帯びて設置された機関である。一方で、1903年に設置された軍事参議院は天皇の帷幄で重要軍務の諮詢を受けることを目的とし、元帥のほか陸海軍要職者から構成され、多数決制や議長の表決権などの議事規程も備えた合議制諮詢機関であった。
 両機関は「軍事顧問府」として宮中に存在し、戦前は枢密院と対比されるような国家機関として位置づけられていたにも関わらず、先行研究では陸海軍の運用統一を図る統帥機関として有効に機能しなかったという低評価が定着していた。
 そこで本稿では、大元帥たる天皇が求めた「軍事顧問府」という視点に改めて着目し、軍事輔弼機関としての元帥府・軍事参議院の成立過程を再検討することで、日清・日露戦間期における天皇と陸海軍との関係形成の新たな一側面を描出することを目的とした。その成果は以下の通りである。
 元帥府の設置は、日清戦後の軍制改革で焦点となっていた監軍部廃止と特命検閲使の不在化を回避することが直接的な要因であった。ただし、その背景には明治天皇が個人的に信頼し自らの軍事顧問官と認識していた山県や小松宮彰仁親王ら現役大将の現役留置の意図も含意されていた。明治天皇は疑念のある帷幄上奏事項を積極的に諮詢し、元帥全員一致の奉答を得ることで、当局と元帥府との「協同一致」による輔弼を求めていたのである。
一方で、明確な議事規程がないが故に合議の拘束性が弱い元帥府では、陸海軍当局や元帥間でも意見が一致しない事態も生じ、「軍事顧問府」としての限界を次第に露呈するようになる。議事規程を整備し構成員に元帥を含む軍事参議院設置は、天皇の帷幄における「協同一致」の論理を阻害しかねない元帥府の改革が志向された結果であった。このことは、「軍事顧問府」の制度化とともに、大元帥たる天皇の裁可の制度化をも意味していたのである。

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