史学雑誌
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明治初期における都市財政構造の変容
府県税創設から三部経済制へ
崎島 達矢
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2020 年 129 巻 1 号 p. 40-68

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抄録

本稿は、近世以来の自治慣行を継承しつつ、明治初期に政治・外交・経済上の要所で三府開港場と称された東京・京都・大阪・横浜・神戸・長崎・新潟における税の収支実態の検討と、地方税規則の例外措置であった三部経済制との関連の検討を通して、都市財政構造の近世から近代への変容過程を明らかにすることを目的とした。
 第一章では、維新後の府県財政を制度的に概観した上で、大蔵省収納の諸運上・冥加金が、近世的な収支慣行を残しながら、明治五、六年の府県限り取立税に関する法令に先んじて、目的税として三府開港場へ切り出されていたことを明らかにした。その背景には疲弊する町人の民費や共有金の負担を回避しつつ財源を確保する意図があった。
 第二章では、それらの徴収・支出の実態を「賦金調」を元に検討した。府県庁と町会所が担う行政内容の近接性、近世以来の税の収支慣行の存続ゆえに、実際には目的税の制約を超えた「共有金的な」運用が展開された。一方、府県庁直下の中心地では府県庁が直接扱うために、府県庁直下の中心地、市街地、郡村地と土地柄に応じて区別した制度が整備されていた。
 第三章では、明治八年の税制改革の意義を考察した。雑税廃止により近世以来のその収支慣行が解消され、府県税は普通税として成立した。結果、府県税支弁が拡大されると共に、府県税・共有金・民費の区別が進み、府県税は府県庁が直接徴収・支出する税としての性格が強まった。さらに土地柄に応じて区別した税運用制度は維持され、都市固有の財源であり続けた。
以上のように、府県税は、三府開港場に固有の財源であった府県限り取立税・賦金とは異なり、府県一般のものとして成立した。しかし運用面では府県税以前の都市の財源を確保するための構造が引き継がれており、三部経済制が成立する構造的背景を成していた。その意味で府県税創設は近代都市財政成立の起点となっていたと結論付けられる。

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