史学雑誌
Online ISSN : 2424-2616
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129 巻, 1 号
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  • 2020 年129 巻1 号 p. Cover1-
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/09/02
    ジャーナル フリー
  • 2020 年129 巻1 号 p. Cover2-
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/09/02
    ジャーナル フリー
  • 参列参会を中心として
    島津 毅
    2020 年129 巻1 号 p. 1-36
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/09/02
    ジャーナル フリー
    古代中世の葬送において女性がどう関わっていたのか。これまで葬送史研究、および女性史研究でも検討されたことはなく、両者の歴史的な関係を解明する必要性があった。
     そこで本稿は、八世紀から十六世紀までの葬送事例を通して、女性における葬送への参列参会の実態と歴史的な変化を検討し、その背景を葬送の性格と女性の位置という二側面から考察した。
     まず十三世紀半ばまででは、次のようなことを指摘した。一に、葬送が凶事とされたため、身体を保護する必要性から幼女や妊婦は葬送の参列もできなかった。二に、女官・女房や女性親族は、故人を愛しみ遺体に触れることも可能であった。しかし、九世紀中頃から女性が公的な社会から疎外されていくなか、女性親族が会的側面をもつ葬送への参列や葬所への参会が行われなくなる。一方女官・女房は、公的立場をもった女性として、職務の一環から参列参会していた。三に、皇后・中宮はさらにその身位がもつ制約から、夫であった天皇や上皇の葬送にも参列参会できなかった。
     そして、十三世紀後半以降では次のようなことを指摘した。十二世紀以降、父祖経歴の官職を嫡系が継承していく中世的な「家」の成立により、女性の位置関係にも変化が現れた。一方、禅律系寺院が境内に荼毘所・墓地を構えたことから葬所が「結縁の場」となる。こうして十三世紀後半を期に、公家・武家などの葬送では寺院で葬送が完結して葬列がなくなり、女性親族が葬所へ参会し始めるようになる。ところが十四世紀以降、后も立てられず、女房が妻妾として天皇に仕え、娘の皇女は尼となっていた。天皇家のこうした特異な状況によって、葬列が組まれ続け、平安時代以来の形態を残す天皇・上皇の葬送にも、妻妾が参列して娘とともに荼毘に参会するようになっていた。
     以上のように古代中世の女性と葬送の位置関係には、九世紀半ばと十三世紀半ばの二度の画期があったことを解明した。
  • 府県税創設から三部経済制へ
    崎島 達矢
    2020 年129 巻1 号 p. 40-68
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/09/02
    ジャーナル フリー
    本稿は、近世以来の自治慣行を継承しつつ、明治初期に政治・外交・経済上の要所で三府開港場と称された東京・京都・大阪・横浜・神戸・長崎・新潟における税の収支実態の検討と、地方税規則の例外措置であった三部経済制との関連の検討を通して、都市財政構造の近世から近代への変容過程を明らかにすることを目的とした。
     第一章では、維新後の府県財政を制度的に概観した上で、大蔵省収納の諸運上・冥加金が、近世的な収支慣行を残しながら、明治五、六年の府県限り取立税に関する法令に先んじて、目的税として三府開港場へ切り出されていたことを明らかにした。その背景には疲弊する町人の民費や共有金の負担を回避しつつ財源を確保する意図があった。
     第二章では、それらの徴収・支出の実態を「賦金調」を元に検討した。府県庁と町会所が担う行政内容の近接性、近世以来の税の収支慣行の存続ゆえに、実際には目的税の制約を超えた「共有金的な」運用が展開された。一方、府県庁直下の中心地では府県庁が直接扱うために、府県庁直下の中心地、市街地、郡村地と土地柄に応じて区別した制度が整備されていた。
     第三章では、明治八年の税制改革の意義を考察した。雑税廃止により近世以来のその収支慣行が解消され、府県税は普通税として成立した。結果、府県税支弁が拡大されると共に、府県税・共有金・民費の区別が進み、府県税は府県庁が直接徴収・支出する税としての性格が強まった。さらに土地柄に応じて区別した税運用制度は維持され、都市固有の財源であり続けた。
    以上のように、府県税は、三府開港場に固有の財源であった府県限り取立税・賦金とは異なり、府県一般のものとして成立した。しかし運用面では府県税以前の都市の財源を確保するための構造が引き継がれており、三部経済制が成立する構造的背景を成していた。その意味で府県税創設は近代都市財政成立の起点となっていたと結論付けられる。
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