史学雑誌
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秦漢時代の人的結合と国家
『嶽麓書院藏秦簡』を手掛かりに
椎名 一雄
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2021 年 130 巻 8 号 p. 1-36

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抄録

秦漢時代を対象とする歴史研究において、郷里社会における人的結合を究明することは、当該時代の特質を描きだすとともに秦漢国家形成論にもつながる重要な課題である。従来の主な議論では、任侠や爵制あるいは血縁や地縁が着目されてきた。本稿では、諸研究の成果を踏まえ、出土文献や編纂史料を分析し、犯罪者およびその犯罪者を救わんとする者の関係を構築する原理を明らかにして、秦の統一国家形成と関連づけた議論を行う。
 第一章では、『睡虎地秦墓竹簡』『嶽麓書院藏秦簡』『二年律令』に抄録される法律条文から、犯罪者およびその犯罪者を救わんとする者の関係を確認し、親属と「所知」二つの人的関係を指摘する。また、犯罪者およびその親属と「所知」には強い人的結合が存在したことも確認する。
 第二章では、国家が法律条文において、危機に瀕した者を救済する資格を、その親属と「所知」のみに認めていたことを指摘する。その上で、『嶽麓』で親属と「所知」を並記する構造が、『墨子』にもみえることを確認する。
 第三章では、墨家の影響を受ける『呂氏春秋』や任侠を称賛する司馬父子による『史記』から、命を賭して報恩に至る人的結合に、「知」が不可欠な要素と認識されていたことを確認する。その上で『嶽麓』には、秦墨や任侠的風潮の色濃い地域への秦の進出が影響していたことを指摘する。
 第四章では、秦の法律文書には、「知」にもとづく関係を国家の支配に利用する施策が内包されていたことを確認する。また、その「知縁」とも呼ぶべき人々と親属で構成される小型の集団を、国家が社会の基盤として認識していたことを指摘する。
秦の東方や南方地域の郷里社会には、親属と任侠的習俗にもとづいた「知縁」で構成される小型の集団が存在した。秦はその小型の集団を維持・再生産する施策を通し支配の正当性を獲得し、その構成員や郷里社会の維持や再生産にまで及ぶ支配構造を構築していたことを論じる。

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