史学雑誌
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日本再軍備をめぐる地域社会の葛藤
警察予備隊松本部隊の演習地問題を中心に
松下 孝昭
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2022 年 131 巻 7 号 p. 1-36

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抄録

一九五〇年に朝鮮戦争が勃発し、日本再軍備の起点となる警察予備隊(のち保安隊・自衛隊)が創設された。本稿は、長野県松本市が地域振興の目的で警察予備隊の部隊を誘致したものの、それに不可欠な演習地の確保をめぐって県内の他の自治体と軋轢を重ねていく過程を追究し、日本再軍備が国内の地域社会の内奥にもたらした複雑な影響について解明することを目的とする。
当初は松本の部隊は、旧陸軍飛行場や高原などを演習地として借用していたが、農地を荒らすことなどからいずれの地点でも拒絶され続けた。とはいえ、一部では道路整備の便宜のために部隊の演習を受け入れようとする地域もあった。また、演習に適した浅間山麓を擁する軽井沢町では、観光地化への道との間で揺れつつも、部隊への物資納入による経済効果に期待して、一時的ながら演習を呼び込もうとする動きも見せ、常駐部隊を誘致する思惑さえあった。
一九五三年になると、松本部隊や松本市は、旧陸軍の演習地で戦後は開拓地となっていた有明原を買収し、演習地化することを画策する。開拓民の間では反対派と賛成派が生まれ、前者は地元有明村のほか社会党や労働組合等の革新勢力の支援を受けて反対運動を展開する。他方で、賛成派は松本市と結託して演習地化を実現させようとする。したがって、反対運動としては防衛当局や松本部隊などの国家機関のみならず、同県内での松本市の動きとも対峙する必要があった。結局のところ有明原の演習地化は農林省の許可が得られずに実現しなかったが、警察予備隊の創設に始まる日本再軍備の過程は、農民の生活権を掲げて演習地化や再軍備に反対する勢力のみならず、多様な思惑から部隊を受容していこうとする動向も芽生えさせており、それらの間での確執が続くのであった。

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