史学雑誌
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「昭和の大合併」後の都市開発と地方自治
埼玉県戸田町における総合都市計画
伊藤 陽平
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2022 年 131 巻 7 号 p. 40-59

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抄録

「昭和の大合併」後、基礎自治体は都市部と農村部双方を抱え込み、旧町村間対立も相まって域内の一体性をどのように担保するかが大きな問題となっていた。高度経済成長期には開発と福祉をめぐって地方自治は新たな段階に入るが、各自治体は合併後の混乱をどのように乗り越え、高度成長に対応したのか。従来の研究では、合併後の町村間対立と高度成長期における地方自治の変容の関連性については本格的な論点となっていなかった。本論は埼玉県戸田町の都市開発を事例に、「昭和の大合併」後における自治体の一体性確保の試みと高度成長への対応を分析する。
1950年代の戸田町では、市街地化が進んでいた旧戸田町と開発が遅れる旧美笹村の旧町村間対立が展開していた。この状況を打破するため、戸田町は全域を対象にした都市計画を実施し、町内の一体性を担保しようとした。その契機となったのが、戸田漕艇場のオリンピック競技会場指定である。会場整備を名目に都市計画を推進し、合併後の町内対立を一挙に解決しようとしたのである。一方、首都圏整備委員会は戸田町をグリーンベルトに組み込み、開発抑制と競技場の国立公園化を推進した。両者の対立は最終的に戸田町の勝利に終わり、グリーンベルト構想も後退を余儀なくされる。
グリーンベルト反対論は東部の新住民を基盤にした改革派町議によって推進された。彼らは旧住民のコミュニティに立脚した旧来の町政からの脱却を掲げ、計画性や住民参加を重視した町政改革を推進した。
戸田町の事例からは、「昭和の大合併」後の町村間対立を都市計画によってコントロールしようとする方向性が見受けられる。「昭和の大合併」後、基礎自治体が集落連合的な性格を払拭しようとする傾向を強めた結果、計画性や住民参加を軸にした高度成長期の新たな地方自治が準備されたと言えよう。

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