史学雑誌
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沖縄の国政参加の実現過程
日米交渉と日本側立法過程から
市川 周佑
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2023 年 132 巻 1 号 p. 42-67

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抄録

本稿は、日米両政府の交渉過程と日本側の立法過程から、沖縄の国政参加の実現過程を明らかにするものである。
 アメリカの施政権下にあった沖縄の住民は、自らの代表を日本の国会に送ることができず、国政参加が沖縄住民の強い要望となっていた。
アメリカ政府は、沖縄の問題が国会に持ち込まれ、日米間に新たな政治的問題が生じることを恐れ、沖縄の国政参加に反対していた。しかし、このようなアメリカの考えは、琉球政府主席公選を受け変化する。アメリカ政府は、沖縄自民党から立候補する西銘順治を支援するため、表決権を与えないという限定を設けた国政参加を容認した。日本側は、国内で国政参加問題が盛り上がったことや、西銘支援のため、アメリカ側の提示した国政参加案に同意した。これにより、日米両政府は、1968年10月9日に開催された日米協議委員会で国政参加の合意を発表した。
 しかし、国政参加の実現は遅れた。日本国内の野党は沖縄代表に完全な権限を付与することを主張し、日米の合意を批判した。これに対し、内閣法制局は、アメリカの施政権下にある沖縄から選出された代表を、憲法の定める国会議員として扱うことは困難との認識を示した。自民党は野党と共同で法案提出を目指したが、与野党の懸隔は埋まらず、1969年中の国政参加実現は断念された。
 このような状況は、1969年11月に1972年の沖縄の施政権返還が合意されたことで変化する。内閣法制局は、返還合意によって沖縄の地位に変化が生じ、国会が認めれば表決権付与も可能との考えを示した。アメリカ政府も内閣法制局の態度が変化し、日本国内で表決権付与が大勢となったことを受け、表決権付与を黙認した。自民党内には、表決権付与に異論が存在したが、政府・与党首脳部は異論を押し切って、沖縄の国政参加法案を推し進めた。これによって沖縄の国政参加が実現したのである。

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