史学雑誌
Online ISSN : 2424-2616
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132 巻, 1 号
選択された号の論文の4件中1~4を表示しています
  • 2023 年 132 巻 1 号 p. Cover1-
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/02/22
    ジャーナル フリー
  • 2023 年 132 巻 1 号 p. Cover2-
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/02/22
    ジャーナル フリー
  • 久保田 裕次
    2023 年 132 巻 1 号 p. 1-38
    発行日: 2023年
    公開日: 2024/01/20
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は、満蒙問題に注目し、新四国借款団の結成過程における日本の国際関係や対中国政策の特質を再検討することである。本稿の視角は以下の三点である。第一に、旧借款団(六国借款団を起源とする)と新借款団との関係である。第二に、旧借款団の中心的な存在であったイギリスの動向である。第三に、日本国内の政策主体の相互関係である。
     原敬内閣は、満蒙を地域として新借款団の事業範囲から除外する概括主義を閣議決定した。シベリア出兵が行われているなか、特に田中義一陸相は日本の国家的前途という観点から満蒙の重要性を説明し、概括主義を主張した。原内閣は英米に満蒙の概括的除外を要求した。これに対し、英米はともに日本の要求に反対した。しかし、「勢力圏」認識に基づき、イギリス外交は次第に方針を転換し、日本と満蒙との特殊な関係に理解を示すようになった。
     しかし、原内閣は新借款団への参加を正式に決定しなかった。なぜなら、同時期にイギリス政府は500万ポンド借款を提案し、この借款の条件のなかに寺内正毅内閣の支援によって創設された中国の参戦軍を解散することが含まれており、日本陸軍の反発を引き起こしたからであった。イギリス外交は新借款団結成の遅延を懸念し、参戦軍の解散を500万ポンド借款の条件から撤回した。その結果、原内閣は満蒙の概括的除外を譲歩した一方、「満蒙の鉄道利権」を新借款団の事業範囲から除外するように主張した。英米は日本の要求を認めることはできず、結局、日本が洮熱鉄道を提供することで妥協した。
     日本が新借款団に参加する際、国外ではイギリスによる日本と満洲との特殊な関係の承認、国内では陸軍の利害関係が重要な判断基準となっていた。特に後者は、旧借款団の結成時と比較すると、特徴的である。また、原内閣は国際協調をとりつつも、中国情勢の変化にともない、干渉政策を実施していたのであった。
  • 日米交渉と日本側立法過程から
    市川 周佑
    2023 年 132 巻 1 号 p. 42-67
    発行日: 2023年
    公開日: 2024/01/20
    ジャーナル フリー
    本稿は、日米両政府の交渉過程と日本側の立法過程から、沖縄の国政参加の実現過程を明らかにするものである。
     アメリカの施政権下にあった沖縄の住民は、自らの代表を日本の国会に送ることができず、国政参加が沖縄住民の強い要望となっていた。
    アメリカ政府は、沖縄の問題が国会に持ち込まれ、日米間に新たな政治的問題が生じることを恐れ、沖縄の国政参加に反対していた。しかし、このようなアメリカの考えは、琉球政府主席公選を受け変化する。アメリカ政府は、沖縄自民党から立候補する西銘順治を支援するため、表決権を与えないという限定を設けた国政参加を容認した。日本側は、国内で国政参加問題が盛り上がったことや、西銘支援のため、アメリカ側の提示した国政参加案に同意した。これにより、日米両政府は、1968年10月9日に開催された日米協議委員会で国政参加の合意を発表した。
     しかし、国政参加の実現は遅れた。日本国内の野党は沖縄代表に完全な権限を付与することを主張し、日米の合意を批判した。これに対し、内閣法制局は、アメリカの施政権下にある沖縄から選出された代表を、憲法の定める国会議員として扱うことは困難との認識を示した。自民党は野党と共同で法案提出を目指したが、与野党の懸隔は埋まらず、1969年中の国政参加実現は断念された。
     このような状況は、1969年11月に1972年の沖縄の施政権返還が合意されたことで変化する。内閣法制局は、返還合意によって沖縄の地位に変化が生じ、国会が認めれば表決権付与も可能との考えを示した。アメリカ政府も内閣法制局の態度が変化し、日本国内で表決権付与が大勢となったことを受け、表決権付与を黙認した。自民党内には、表決権付与に異論が存在したが、政府・与党首脳部は異論を押し切って、沖縄の国政参加法案を推し進めた。これによって沖縄の国政参加が実現したのである。
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