自殺予防と危機介入
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教育講演
自殺は常に予防されるべきではなく、場合によってむしろ幇助されるべきか—希死念慮の合理性と安楽死の是非をめぐる論争から—
有馬 斉
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2020 年 40 巻 1 号 p. 24-32

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抄録

自殺は、予防あるいは防止されるべきものとして理解されているのが一般的だろう。しかし、国外では近年、医師による自殺幇助を合法化する国や地域が増えつつある。これらの国や地域では、自殺は場合により、防止ではなく、幇助の対象である。本稿ではまず、自殺幇助の合法化が相次ぐ国外の状況を概観する(I節)。また、自殺を幇助することの道徳的な是非をめぐって現在進行中の議論の中から、重要な争点のひとつを取り上げて紹介する。すなわち、個人の希死念慮(死にたいという気持ち)が合理的なことはあるか。それが、周囲からの尊重に値するような、判断力ある個人の自己決定とみなされるべき場合はあるか、の点である。この点にかんしては、とりわけ心療内科医や心理療法士など、実際に希死念慮のある人を臨床で間近に見てきた専門家たちのあいだで意見が分かれてきた。争点を正確に見定めてみたい(IV~VII節)。

尚、医師による自殺幇助の合法化の是非にかんする国外の議論の中では、医師の介助を受けて死ぬ患者のふるまいを自殺と呼ぶことの妥当性が問題になることもある。合法化を支持する人々の一部は、それを自殺と呼ぶのはまちがっていると主張してきた。また、たとえば経済的な理由で人が縊死する場合のようないわゆる一般的な自殺とは性質の異なる行為であるという主張もある。本稿では、こうした主張についてもかんたんに考察を加える(II~III節)。

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© 2020 一般社団法人日本自殺予防学会
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