社会情報学
Online ISSN : 2432-2148
Print ISSN : 2187-2775
ISSN-L : 2432-2148
研究
『ハーモニー』の描く近未来に関する一考察
―高度医療社会の身体と自己―
根村 直美
著者情報
ジャーナル フリー

2023 年 12 巻 2 号 p. 49-65

詳細
抄録

サイエンス・フィクションのあるものは,我々の社会に潜在する可能性を示唆していると考えることができる。本稿では,ネットワーク化された高度医療社会がどのような身体や自己のあり方をうみだすことになるのかという観点から,伊藤計劃の『ハーモニー(2008)』の分析を試みた。

『ハーモニー』が描くのは,人々が,健康を維持する医療システムとつながれ,そのシステムに服従することによって,「公共的身体」を形成していく社会であった。その社会においては,プライベートな身体であるためには,「リソース意識」に満ちた関係性の“切断”が求められた。『ハーモニー』では,人間が「完璧」になったとされる世界のビジョンも示される。それは,もはや“切断”の意志をもつ「わたし」は存在しておらず,プライベートな身体が立ち現れることがない世界であった。

『ハーモニー』は,逆説的に,身体をもち状況に埋め込まれている中で立ち現れる「わたし」という意識を浮き彫りにしている。その「わたし」は,状況への適応の結果としての断片の集まりにしかすぎず,確固とした存在ではない。しかし,「わたし」という意識をもつ存在においては,自己を維持するための方略としての“切断”の〈倫理〉がその意識の働きによって姿を現してくる。

近年Michel Foucaultが提示した「自己の技法」に注目するポストヒューマニストが現れているが,そうした論者の議論を参考にするならば,個々の構成員が柔軟に変容しつつ自己を維持するようなネットワーク社会の探究を「自己の技法」からはじめること,それが,伊藤が我々に残した大きな課題と考えることができるのではないだろうか。

著者関連情報
© 2023 一般社団法人 社会情報学会
前の記事
feedback
Top