2015 年 4 巻 1 号 p. 73-89
本研究は, サイバースペースをより魅惑的な場にすることを目的とし, そのためのヴィジョンを提示したものである。現在においてサイバースペースの問題を論じるにあたり, ビッグデータの問題は避けて通れない。しかしながらこの論点は, 主に技術的な観点からのみ扱われてしまっている。サイバースペースにおいて操作を行うのは, まさに我々なのにである。そこでWalter Benjaminの議論を参照することにより, 本論ではこの問題を我々の存在に引き付けて論じた。その際の一つの参照点として探偵小説の構造に着目し, それとサイバースペースを比較検討した。探偵が用いる痕跡の繋ぎ合わせの手法をノードの結合からなるリンク構造のアナロジーとして考察することにより, その類似を指摘しつつも, 近代的な探偵的手法をそのままサイバースペースへと転用することの限界を示した。
そして, 情報の哲学を打ち立てようとしているPierre Lévyの議論を参照することにより, この議論を現代的な問題へと接続した。ここにおいてビッグデータのあり方を踏まえた上での, サイバースペースにおけるヴァーチャルな自己の存在(我々の複製としての)が素描されることになる。この存在は探偵や群衆ではなく, Benjaminの議論における遊歩者がモティーフとなっている。サイバースペースをビッグデータから構成されるヴァーチャルな自己が遊歩する空間として捉え, これを我々の経験や創造性から論じている点が, サイバースペースの今後を考察する際に有用な立脚点となる。