2019 年 8 巻 1 号 p. 15-30
メディアが透明な媒介としてわれわれの生活世界を侵食する際に立ち現れる身体性の剥奪という問題は如何にして記述できるのだろうか。本論考は,その些か巨大すぎる問いに,ネオ・サイバネティクスと総称される思想的潮流の一端を担う「基礎情報学」の観点から,社会美学における「共通美」の概念を手がかりに考察する。より具体的には,昨今のSNS文化における加工写真=〈新しいテクノ画像〉が,被写体の身体性が剥奪されているにもかからず広く受容されている状況に対して,基礎情報学の心的システムの議論やヴィレム・フルッサーのメディア理論,さらにはマイケル・ポラニーの暗黙知などの諸概念に依拠しつつ,理論的な検討を加える。主観的な知から出発したわれわれの心的システムが,二人称的な対話を通じて共振しながらコミュニケーションの発展過程として描出されていく一方で,それが社会システムへと転化し,安定状態へと達した結果,逆に個人の美的価値から身体性=視覚ディスプレイ上から立ちのぼるある種の生々しさを剥奪させていく様態を,階層的自律コミュニケーション・システムHACS(Hierarchical Autonomous Communication System)モデルから捉え直す。