現代社会学理論研究
Online ISSN : 2434-9097
Print ISSN : 1881-7467
社会的連帯・再考
他者の存在の〈保障〉と〈承認〉をめぐる/のための試論
安部 彰
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2007 年 1 巻 p. 70-84

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抄録
本稿では、リチャード・ローティの連帯論の吟味と解釈をつうじて、次の二点を明らかにする。( 1 )それが社会的連帯の目的と理由を説得的に示す議論であること。( 2) 〈現在〉の社会的連帯論にたいするローティの懐疑の妥当性について。
まず、ローティが社会的連帯の目的とする「残酷さの回避」は〈人々の存在/あることの保障〉という我々の共約的な価値に叶っている点で、またその理由とされる「他者の受苦への共感」は、我々の経験的な事実に根ざしたものである点で説得力をもつ。だがこれには、それによって実現される生の保障は低い水準に止まるという批判がある。しかしその批判には、我々がふだん「残酷さ」という言葉/概念によって指し示している事柄/事態は広いがゆえに、他者の「自由」までをもその射程に含む可能性をもつ、と応じうる。
他方で、ローティにおいてかかる懐疑は「人称的な連帯」への志向というかたちをとるが、我々はその妥当性についての判断を留保する。たしかに〈身近な〉他者を起点とする「人称的な連帯」では「残酷さの回避」は十全に達成されえない。だが〈身近な〉他者の解釈しだいで、また社会的連帯論において相互性を与件としないのであれば、そう結論するにはまだ議論の余地がある。またローティは、社会的連帯論をア・プリオリな真理/原理に基づけようとする「基礎づけ主義」を拒絶する。だが基礎づけの有無よりも、「残酷さの回避」という課題を同じくする多様な語り/信の効果と作用を比較評価し続けることの方がむしろ肝要だといえる。
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© 2007 日本社会学理論学会
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