現代社会学理論研究
Online ISSN : 2434-9097
Print ISSN : 1881-7467
1 巻
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  • 片桐 雅隆
    2007 年 1 巻 p. 1-2
    発行日: 2007年
    公開日: 2020/03/09
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  • ターナー ブライアン・S, 速水 奈名子, 油井 清光
    2007 年 1 巻 p. 3-23
    発行日: 2007年
    公開日: 2020/03/09
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  • 馮 鋼, 朱 安新, 西原 和久
    2007 年 1 巻 p. 24-29
    発行日: 2007年
    公開日: 2020/03/09
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  • グローバリゼーションと脱領土化をめぐって
    後藤 実
    2007 年 1 巻 p. 30-43
    発行日: 2007年
    公開日: 2020/03/09
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    冷戦の終焉とともにグローバリゼーションに関する議論が活性化し、1990年代後半からはその両義性に関する認識も深まりつつある。
    本稿の目的は、N.ルーマンの世界社会概念を手がかりとしながらその論理を明らかにし、世界社会化の社会文化的な意義を検証することである。まず、世界社会化する過程を領土的な世界社会1と、脱領土的な世界社会2を分析的に区別し、機能システムの縮減形式が自己描写、コミュニケーション連関に浸透する態様を分析する。そして世界社会の論理を多様なものの統一体を構成する「一」と「多」の構成のあり方によって分類する。
    脱領土化する世界社会のもとでは、機能システムのオペレーションの徹底化が進んでいる。その問題点と機能システムの効力の限界を指摘し、世界社会2の先にある世界多様性の維持に向けた課題について超領土化、再領土化の観点から考察を行う。
  • Luhmann機能分析による経験的研究の可能性
    畠山 洋輔
    2007 年 1 巻 p. 44-56
    発行日: 2007年
    公開日: 2020/03/09
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    社会学理論は、社会学が社会に対して確実な知識を提供するために、継続的に批判的に検討されるべき「仮説」である。そして、これまでの社会学理論で、最も批判的に検討されてきた「仮説」は社会学的機能分析、特に構造一機能分析をおいて他にないだろう。T. ParsonsやR. Merton、そして日本の社会学者達によって彫琢された構造一機能分析は、その科学的説明としての要件を十分に満たしていないとして批判され、次第に「凋落」していく。しかし、この時に批判の対象となっていたのは、構造一機能分析であり、構造一機能分析以外の社会学的機能分析が、「仮説」としての社会学理論の役割を担いうるかを検討する必要がある。この構造一機能分析を批判的に継承しつつ、新しい社会学的機能分析のひとつとして、N. Luhmannの機能分析を挙げることができる。
    本稿では、Luhmann機能分析の検討を通して、以下の3点を明らかにした。( 1 )Luhmann機能分析は、システム合理性概念を導入し、システム合理性を規準にして諸可能性を比較する分析方法であり、因果論的な構造一機能分析とは異なっており、さらには論理実証主義の乗り越えとして位置づけることができる。( 2)Luhmannの「比較」概念は、後のLuhmann理論における「観察」概念を導入する土台となっている。( 3) Luhmann機 能分析は、経験的な対象から距離をとることによって、実践的な問題を理論的に扱うことを可能にすると同時に、理論的に構成された選択肢を実践的な選択として用いることを可能にしている点で、理論と実践との橋渡しという機能を有しており、特に規範的な問題に対して有効な方法であると言える。したがって、Luhmann機能分析を、経験的及び理論的に検討することを通して、「仮説」として継承していくべきである。
  • システム的連関と市民的な社会領域との和解をめぐって
    飯島 祐介
    2007 年 1 巻 p. 57-69
    発行日: 2007年
    公開日: 2020/03/09
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    ハーバーマスの公共圏論は、既に様々な文脈で取り上げられ、厳しい批判にも晒されている。しかし、それがハーバーマスの理論体系の中でいかなる位置を占めるのかという点については、必ずしも十分な検討がなされていない。本稿ではこの点について検討し、ハーバーマスにとって公共圏論は主著と自他ともに認める『コミュニケイション的行為の理論』に生じた課題への応答であることを明らかにしたい。さらに、この課題はいわゆる「新しい市民社会論」にも生じうるものであり、ハーバーマスは公共圏論によって現代の社会理論に重要な貢献をなすことを明らかにしたい。すなわち、ハーバーマスの公共圏論は、システム的連関に対して市民的と形容しうる社会領域の現存を図ろうとするときに、しかもシステム的連関に一定の合理性を認めながらそうしようとするときに、きわめて有益な洞察を含んでいるのであり、たしかに多くの問題を内包しているとしても、彼の理論体系の中で枢要な位置を占めるのである。
  • 他者の存在の〈保障〉と〈承認〉をめぐる/のための試論
    安部 彰
    2007 年 1 巻 p. 70-84
    発行日: 2007年
    公開日: 2020/03/09
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    本稿では、リチャード・ローティの連帯論の吟味と解釈をつうじて、次の二点を明らかにする。( 1 )それが社会的連帯の目的と理由を説得的に示す議論であること。( 2) 〈現在〉の社会的連帯論にたいするローティの懐疑の妥当性について。
    まず、ローティが社会的連帯の目的とする「残酷さの回避」は〈人々の存在/あることの保障〉という我々の共約的な価値に叶っている点で、またその理由とされる「他者の受苦への共感」は、我々の経験的な事実に根ざしたものである点で説得力をもつ。だがこれには、それによって実現される生の保障は低い水準に止まるという批判がある。しかしその批判には、我々がふだん「残酷さ」という言葉/概念によって指し示している事柄/事態は広いがゆえに、他者の「自由」までをもその射程に含む可能性をもつ、と応じうる。
    他方で、ローティにおいてかかる懐疑は「人称的な連帯」への志向というかたちをとるが、我々はその妥当性についての判断を留保する。たしかに〈身近な〉他者を起点とする「人称的な連帯」では「残酷さの回避」は十全に達成されえない。だが〈身近な〉他者の解釈しだいで、また社会的連帯論において相互性を与件としないのであれば、そう結論するにはまだ議論の余地がある。またローティは、社会的連帯論をア・プリオリな真理/原理に基づけようとする「基礎づけ主義」を拒絶する。だが基礎づけの有無よりも、「残酷さの回避」という課題を同じくする多様な語り/信の効果と作用を比較評価し続けることの方がむしろ肝要だといえる。
  • 反・普遍言語論を手がかりに
    鵜飼 大介
    2007 年 1 巻 p. 84-99
    発行日: 2007年
    公開日: 2020/03/09
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    ヨーロッパにおける近代的な言語経験を特徴づける一事象として、普遍言語の構想と運動が挙げられる。「普遍性」は「特殊性」との関係において意味をもつように、普遍言語も特殊言語との関係においてこそ、はっきりと姿をあらわしてくる。本論は「普遍言語」と「特殊言語」との関係性の様態を、歴史的にたどるべく、反・普遍言語(論)の変容を見ていく。普遍言語と対をなす特殊言語とは、実際のところ「俗語」または「国語」のことである。17世紀以降、普遍言語において見込まれる〈超・普遍性〉は退縮していき、19世紀末以後にエスペラントが「国際共通語」「国際補助語」と称されたように、既存の諸国語に大幅に譲歩し、〈間・特殊性〉とでもいうべきものへと変容していく。反面、特殊言語たる国語のほうは、次第にその言語的「厚み」が見出され、意義と重要性を高めていく。そうした動向のなか、18世紀におけるフランス語、19世紀における印欧祖語、20世紀における英語など、それぞれ様態は異なるものの、特殊言語が普遍性に近づいたり、それを擬態したりする事態も見受けられた。
  • 田中 秀生
    2007 年 1 巻 p. 100-113
    発行日: 2007年
    公開日: 2020/03/09
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    社会契約論は原子論的個人を基本単位とし、その利己的振舞いから社会および国家の設立を説明する論理であり、その意味で近代初頭には、社会の近代化を進める論理として用いられた。18世紀フランスに生きたジャン=ジャック・ルソーも社会契約論者の一人として、主要著作の一つである『社会契約論』を著したが、いまだ解明されるべき論点が残されている難解な著作である。本論文の目的は、社会学における秩序問題を念頭に置きつつ、『社会契約論』において「社会契約」と「最初の約束」は区別され、後者が前者に先行し、かつその基礎になっているという考えに基づき、ルソー的社会体が描写されている他の著作も参照することによって、この「最初の約束」の成立様式とそれに伴う当事者の特徴を明らかにすることにある。そのために、まずルソーの論理的探究から見出される「最初の約束」の循環性の問題点を見極め、そこから出てくる法と徳の対照における徳の意味、さらに先の循環性を脱するためにルソーが特異な人物形象を援用しつつ当事者の前意識的次元に働きかけるその方法、および、それによって結局「最初の約束」の当事者がいかなる様式においてこの約束を成立させることになるか、等を考察した。
  • 現代宗教の問題と課題
    藤本 龍児
    2007 年 1 巻 p. 114-130
    発行日: 2007年
    公開日: 2020/03/09
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    本稿は、ニューエイジ運動と個人主義の関係を考察するものである。「世俗化」理論によると、現代の宗教は「私事化/個人化(privatization)」していると言われる。事実、1970年代から、ニューエイジ運動と呼ばれる個人主義的な宗教現象が注目されるようになった。また、ニューエイジが生じてきた1970年代には、個人主義も新しい展開を見せている。したがって、ニューエイジ運動と個人主義の関係を考察することは重要であるにちがいない。
    第1章では、まずニューエイジ運動について概観し、それがいかなる特徴をもっているのか、ということを確認した。ニューエイジは、「自己宗教」と言い換えられたりすることからも分かるように、その特徴は、個人主義的である、というところにある。そこで第2章では、個人主義の現代的形態であると考えられるナルシシズムを採りあげ、そのナルシシズムとニューエイジ運動を比較し、両者の共通点を指摘した。両者がいくつかの特徴を共有しているとすれば、問題点についても共通しているところがあると推測できる。第3章では、ニューエイジ運動を「宗教的個人主義」の系譜に位置づけて考察した。アメリカには宗教的個人主義と呼ばれる考え方が受け継がれてきているのである。
    以上の考察により、現代の宗教は「自己内超越」という特質をもち、またそれに伴って倫理観を形成するための契機を欠いている、という問題点をもつことが明らかになった。
  • 『断食芸人』から
    郭 基煥
    2007 年 1 巻 p. 130-145
    発行日: 2007年
    公開日: 2020/03/09
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    在日は世代交代が進む中で、日本への定住化傾向がますます明瞭になってきた。そういう中で、在日のアイデンティティは祖国か日本かという従来の二極のみならず、日本人との共生を目指す共生志向や個人的成功を第ーに考える個人志向など様々な方向性が現われだしたことが指摘されてきた。また最近では自らの中の複数のアイデンティティを認める重要性を訴える議論も現われている。
    しかし本稿ではむしろアイデンティティが問題になるという在日の共通の状況に着目し、アイデンティティが問題化される最初の契機である、〈地平〉としてあった現に生きている日本社会が異国であることを知るという経験/衝撃について精査することで、特に二世以降の在日の、特殊な意味での異邦人感覚を描出することを主要な目的とする。
    二世以降の在日にとって祖国は経験の彼方にある。しかし、こうした未規定の祖国はアイデンティティが問題になる限り、当人から切り離せるものではない。その意味で在日は、未規定な祖国という他者と共に生きていると考えることができる。その場合、もしも在日が、このように他者性と共に生きるという線を越えて、それと同一化するとき、その在日は同時に日本社会と切り離された他者たらざるを得ないだろう。本稿はここにあるジレンマの構造をカフカの『断食芸人』の解読を通して明らかにする。
    しかしこうした異邦人はただ異邦人であるだけなのだろうか。この異邦人はその孤独ゆえに常に別の異邦人へと赴くように駆り立てられるのではないか。そしてもしもこのようにして異邦人同士の交流というものが結ぼれたとしたら、それはその人が絶縁した社会に何事かをもたらすのではないのだろうか。
  • 『現代社会理論研究』から『現代社会学理論研究』へ
    西原 和久
    2007 年 1 巻 p. 146-147
    発行日: 2007年
    公開日: 2020/03/09
    ジャーナル オープンアクセス
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