抄録
本稿では、1978 年頃から1985 年頃まで続いた、労働基準法の改定と男女雇用平等法の立法をめぐる女性運動内部のスタンスの差異・対立状況を確認することで、「保護」・「(男女)平等」をいった論点によっていかなる認識の違いが露呈し、いかなる陥穽が生じるのかを確認することを第一の目的とする。保護と平等を両方を求める運動は、一見女性運動としては理にかなった方針であるが、そこにどのような“仕組み”があることを意識化していたのか。また、反対に、保護と平等を拒否する運動とは、いかなる論理をもち、何を目的とすることで運動の意義をなしえるのか。そのような論点に取り組む。鍵となるのは女性労働者間の階層差に関する認識と、立法における政府・企業の論理への批判性の強弱である。結局、この労基法改定と平等法の立法をめぐる流れは、1985 年の「男女雇用機会均等法」とそれに連なる「均等法体制」として帰結する。その評価をすると同時に、オルタナティブな「戦略」も確認する。そのうえで、この相克の意味を、現在の女性労働をめぐる運動がどのように引き継いでいくべきであるのかを整理し、その萌芽形態を確認する。